止血

ぬい活…

日本は何とも平和なものだ。

世界の平均寿命を調べたところ、日本人は世界一長寿だった(WHO調べ)。
2025年度、日本は84.5歳で、世界の中心で愛を叫ぶアメリカ人は44位で76.4歳。
平和だから長生きするのか?
少なからずとも関係しているはずだ。
危険が少ないことは、長生きにつながる。

長生きと言えば、離職率が低い会社を想像した。

会社を辞めていく人が多い会社と、長く勤める人が多い会社の差は何か?
危険が多いとか少ないとかではないが、ここには必ず理由がある。

離職率の高い会社は、役職の高い人が残念なことになっている。
その方は、その役職として必要なことが出来てないからだ。
自分が出来てないことを棚に上げて、組織に「やれ」と言っているようである。

昔務めた会社が「率先垂範」というスローガンを掲げたことがある。
上司や先輩は、自ら率先して実践する。身をもって手本を示すのだ。口で説明して教えるのではない。
ゴミを拾いなさいと言うのではなく、自らがゴミを拾っていると部下も拾うようになる。

「いつも言っていますが」
ミスがあるたびにこのような言葉を発する上司がいるが、いつも言っていてそのことが起きてしまうなら、伝わっていないのだ。このことを「聞いてない」と部下のせいだと思う上司がいたならば、この人は上司である資格は無い。あなたが伝えきれてないのです。
ミスが多発する場合も、離職率が高い場合も、問題は現場ではなく上のほうにある。

血が出たら、まず止血することは重要だ。
しかし人の流出は、根本的なものを解決しないと止まらない。

「どうする?」

どこかに相談したほうが良い。
今どきは、まずはAIに相談してみるのがセオリー。

問題ないと思うのは普通の人

3月に入って、庭にジャガイモを植えた。
すると25日ほどで芽が出た。
期待通りだ。

企業では期待通りの結果が得られているか?

社内の連絡を円滑にするために、各部署にタブレット端末を導入してみた。
ここに緊急時や伝えたいことを書き込む。
期待通り伝達が早くなり、連絡もれが減った。

ここで重要なことがある。
設備投資を行い情報伝達手段を改善したところまでは良いが、この後どうなっていくのか?

企業活動のほとんどは、問題が解決したらそこで終わる。
これは間違っている。

多くの従業員は問題が解決したら満足してしまうが、経営者はそうではない。

「もっと良くなる」

このことを従業員が常に考えてる企業はどんどん成長するが、働いている人の頭の中にこの考えが存在しない場合は、成長できるわけがない。
そして、このことを正しく効率的に組織に適応させることができる中小企業の経営者も少ない。

いま解決したばかりの問題は、この先ずっとブラッシュアップするのが正解。
働いている人は、今行っていることの中にどれだけ無駄が存在しているのかよく考えてほしいが、目の前の事で手いっぱいで、そんな余裕は無い。
では誰がこれを先導するのか?

それがマネージャー(管理者)だ。
課長でも係長でも良いが、そこを握っている長がこれをやらねばならない。

この重要な人たちが、仕事を兼任している場合がある。
これがダメの始まりだ。

私が若い頃に教えられたことは、「マネージャーは自分でやっちゃイカン!」
この意味は分かると思うが、管理者が現場を兼任した瞬間から、企業成長が止まる。

経営者は心を鬼にして、現場を握っている人をフリーにしなければならない。
そうでなければ、働いている人も、経営者自身も、残念なことになる。
人材が不足なら、私のような外部の人間に頼ってもよい。

私は色んな企業を訪問するが、目に飛び込んでくる情報は、おかしなことだらけだ。
そしてそこで働いている人は、それを問題視していない。

唯一気が付けるのは、経営者だけだ。
もっと現場を見て回ることをおススメする。

そうそう、ジャガイモのほうは順調だ。
神の作った道筋なので、改善しなくとも良さそうだ。

人はどこへ消えたのか?業界の矛盾

世の中どこを向いても人材不足だ。
店を閉めるコンビニ、人手不足のためしばらく休業しますと張り紙の出た和食レストラン。

人はいったい、どこへ行ったのか。

──どこへも行っていない。
ただ、減っているのだ。

そもそも人口が減り続けている。働ける若い世代が生まれてこない以上、これは必然だ。
加えて、フリーランスや個人事業主、個人クリエーターなど、働き方も大きく変わった。
「雇われて働く人」が減ったのであって、「働く人そのもの」が消えたわけではない。

最近、介護に関係する会社と付き合う機会ができた。
そこであらためて介護業界を眺めてみると、一般企業とは決定的に違う構造を抱えていることが見えてきた。

まず、介護業界は需要が増え続ける運命にある。
通常の業界であれば、市場ニーズの拡大は歓迎される。
しかし、働く人が足りない介護業界にとって、それは悲鳴でしかない

この先には、いわゆる「2040年問題」が控えている。
団塊ジュニア世代が一気に高齢化し、需要は跳ね上がる。

では、なぜ働く人(供給側)が増えないのか。

大前提として、この仕事には**明確な「向き・不向き」**がある。
人が足りないため、誰でも入口には立てる。
しかし、長続きしない。

人のお世話をする仕事だ。
身体的負担、精神的負担、対人ストレス耐性が求められる。
「死」「排泄」「認知症」と、日常的に向き合う。

これは向かない人の方が多くて当然だ。

感謝はされる。
だが、社会的地位は高くない。
絶対的に必要な職業であるにもかかわらず、「憧れ」にはなりにくい。

さらに、介護報酬は公定価格である。
市場原理が働かないため、利益が出にくく、賃金も上げにくい。

身体の危険、汚れ、重い責任、感情労働、夜勤や不規則勤務。
条件だけ見れば、かなり過酷だ。
それでも、一般企業より収入は低い。

この業界で、誰が働きたいと思うだろう?

ゼロではない。
だが、残るのは多くの場合、使命感が極端に強い人か、ほかに行き場のない人だ。

産業構造として、どこかおかしくはないか。

国がもっと本気で取り組まなければならない問題だと思う。
しかし、市場自由競争を持ち込めば価格は暴騰し、介護格差が生まれる。
公的価格を引き上げ続ければ、国の財政はもたない。

矛盾だらけで、身動きが取れない。

私は、現場で働く人たちが可哀そうになった。
それでも今、約200万人もの人が介護に関わる仕事に従事している。

世の中の公平性や均衡は、崩れていないのか。
この日本を作ってきたのは、いったい誰なのか。

──もっとも、犯人探しをしても何も解決しない。

私の経験則だが、
「いやー、この業界は本当に儲かりませんよ」
そう言う経営者ほど、案外儲かっている。

以前、ある坊さんがそう言っていた。
その住職は、寺のほかにいくつも会社を経営していた。
余裕は、あるところにはある。

介護業界も、全体として儲かっていないのは事実だろう。
だが、経営者だけは儲けている構図があっても不思議ではない。

それが悪いとは言わない。
ただ、介護職にもフリーランスで成り立つ領域があり、今後は確実に広がる。

だからこそ、介護事業を経営する側は、
「そのとき、どう動くのか」
今のうちから考えておくべきだ。

事業所で働く職員が減ってから慌てても、もう遅い。

供給側も人間だ。
神でも仏でもない。
介護職員だって、対価は上げたい。

それは、ごく自然な欲求なのだから

スピードを求めて

最近どうも、世の中が「速さ競争」になっている。

Wi‑Fi 7だの、10G光だの、聞いただけで肺活量が上がりそうな言葉が並ぶ。
数字もたいしたもので、46Gbpsなどと言われると、もう人間の感覚など置いてきぼりだ。

もっとも、一般人の理解はこうだ。
「なんか知らんが、早いらしい」
そして店員さんが「理論値では……」などと言い出すと、
「じゃあそれで」と契約する。

さて、問題はそこから始まる。
家に10Gの光を引いた。
壁からは間違いなく10Gが来ている。
ところが繋がっているルーターは、よく見たら100BASE‑T。
結果、いくら頑張っても出るのは100Mbpsあたりで頭打ち。

これは別に珍しい話ではない。
最高速度の話をしている途中で、いちばん細いところを忘れている
これを専門用語で「ボトルネック」と言う。

ボトルネックとは、
「全体の流れを、いちばん細い部分が決めてしまう」現象だ。
技術者は知っているが、カタログは絶対に教えてくれない。

たとえば高速道路。
三車線の立派な直線が続いていても、
途中に料金所が一つしかなければ、そこで全員が詰まる。
F1マシンでも、軽トラでも、料金所では同じ速度だ。
あるいは水道。
貯水タンクが東京ドーム一杯分あっても、蛇口がストローの太さなら、コップ一杯溜まるまで、ちゃんと待たされる。
通信もまったく同じである。

例えばWi‑Fi 7対応の最新スマホを買ったとする。
スペック表には「最大46Gbps」とある。
胸が躍る。
だが家の光回線は1G契約。
その時点で、もう46分の1以下だ。
さらに言えば、
・ルーターの性能
・LANケーブルの規格
・相手サーバーの回線
・時間帯の混雑
どこか一箇所でも細ければ、そこが上限になる。

つまり、
速い道具を一つ買っても、全体が速くなるわけではない。
それなのに人は、
「一番速そうな看板」だけを見て財布を開く。
そして思う。
「思ったほど速くないなあ」と。
通信も人生も、一番詰まりやすいところを予測すれば失敗しないかもしれない。
酒も同じである。
一升瓶をラッパ飲みしようとしても、結局は喉の太さ以上には流れてこない。
無理をすると咽せる。
そして、だいたい怒られる。

速さとは、出せることより、ちゃんと受け止められることの方が大切なのかもしれない。

…。いやまてよ?速さは大事だ。
早くするためにわざわざ買ったのだから。

解決策は実は簡単である。
ボトルネックを無くすことだ。

家からインターネットに出るまでの道を、すべて太く、すべて速く、すべて新しくする。
ルーターも、ハブも、ケーブルも。
つまり、全部買い替えである。

いやー、速くはなった。
その代わり、財布の速度が極端に落ちた。

新しい事への挑戦

新しいことへの挑戦という言葉には、希望がある。いや、希望しかない。
でも、私のようなヘタレにとっては、ちょっとした恐怖でもある。

私は努力が嫌いだ。はっきり言える。昔、面接に来た人がこう言った。
 「私は努力することが好きです」
その瞬間、私はこの人を心から尊敬した。その後、どんどんこの人が好きになった。努力を“好き”と言えるなんて、私には一生無理だ。私は努力家ではない。好きなことを追いかけるだけの放蕩者だ。

証拠はいくらでもある。例えば「墨絵を描きたい」と思って、大阪の日本画材屋さんで道具一式を買ったのに、20年以上経ってもまだ始めていない。三日坊主どころか、ゼロ日坊主だ。
そういえば英会話教材も続かなかったなぁ。

メタボ対策を決意したときも、犬の散歩で歩幅を広げる、帰宅後に全力ラジオ体操をする、ニンテンドースイッチのFitBoxingで有酸素運動をする…と計画だけは立派だった。やり始めると人に「ダイエットを始めたんです」なんて得意げに言ったくせに、いつの間にか放り投げて、残念な結果だけ残して時間だけが経過した。

でも、そんな私にも続いたことがある。40歳で始めたピアノは、もう20年近く続いている。
なぜか?
楽しいからだ。努力じゃない。好きだからだ。最大の理由は「音による癒し」。
最初は「ピアニストになりたい」なんて大それた目標はなかった。ただ「弾けるようになりたい」という小さな希望だけ。なんか、ピアノ弾けるとカッコ良いし。
お金もないのにピアノを買い、誰にも習わず毎日コツコツ弾いた。当然ピアニストのような技術が身に付いたわけではないが、今も新しい曲を練習するたびに何ヵ月もかかって、最後まで聞けないこともあるが、楽しい。そして、音に癒される。

この経験からわかったことは、努力できない私でも、好きなことなら続けられるということだ。だから、努力家の皆さんは本当にすごい。でも、努力できない人も諦める必要はない。好きに結びつければ、どんなことでも挑戦できる。
大切なことは「新しい事への挑戦」だ。結果は勝手についてくるし、ついてこなくても良い。

今年、私は還暦を迎える。「新しい挑戦」として、新しいプログラミング言語を学ぼうと思う。努力は必要だ。でも、知らないことや新しいことを覚えるのは好きだ。だから、きっと続けられる。年男でもあるし、やれる気がする。やれるぜっ!

……ただ、墨絵の道具はまだ押し入れの奥で眠っているけどね。

汚れているのは心

人は、誰にも見られていないとき、何をするかわからない。
タバコのポイ捨て、立ち小便、泥棒もそうだ。
逆に、人に見られているときは、悪いことをする人はレアだ。普通は、見られていると良いことをする。
つまり、行動を決めるのは「視線」ではなく「心」なのだ。

今朝のテレビで、羽田空港が「世界一きれいな空港」だと紹介されていた。
画面に映ったのは、清掃会社の若い女性スタッフ。彼女は自分の担当箇所を黙々と清掃していた。

清掃の仕事は、床やトイレだけではない。壁、テーブル、ガラス、ありとあらゆるものを常にきれいに保つ。それが仕事だ。誰かに見られているかどうかは関係ない。
ここまで聞くと、私はこの仕事を「やっつけ仕事」に分類してしまう。積まれたタスクを次々に片付ける仕事だ。私はこれが苦手だ。なぜなら、飽きてしまうからだ。

しかし、彼女の言葉にハッとした。
「そこにいる人にお尻を向けないように気を付けています」
この気遣いに、私は驚いた。誰も気づかないし、感謝もしない。それでも彼女は続ける。これは最上級のサービスだと思った。
一日2万歩も歩きながら、ただやっつけるだけでなく、人への配慮を忘れない。
見られていなくても、同じレベルで仕事をする。誰もいなくても、責任を果たす。その積み重ねが「世界一きれいな空港」をつくっているのだろう。

私はどうだろう?
見られているとき、きっと盛ってしまう。本当は普段やらないことを、見られているときだけやってしまう。それが悪いとは思わない。でも、見られていないときも同じ態度でいたい。
結局、汚れているのは床ではなく、私の心なのだ。

この話は、私の仕事にも通じる。私はサービスを提供しているが、ターゲットが明確にいるから成り立っている。
でも、ターゲットが見えなくても、ビジネスは成り立たないのか?
考えてみると、面白い。多くの人が知らず知らずにメリットを得て、それで生計を立てられるなら、新しい分野だ。
……いや、利益をもくろんでいる時点で、不純か。

人に見られていなくても、普段と変わらずやっていること。
庭木の世話とか———

ガーン!!(◎_◎;)
ダメだ、凡人だ。

陰陽なのか?

いいことをすると、気分がいい。

待合室でふと横を見ると、診察券が落ちていた。
通りかかった看護師さんに「誰か落としていますよ」と声をかけると、その方が診察券を持って去った。
少しして、80歳くらいの男性が診察室から出てきて私の横に座った。
「診察券、落としていませんか?」と尋ねると、
「いや、俺は財布に入れとるから大丈夫や!」と答え、目の前で財布を開いて診察券を見せてくれた。
その財布には一万円札がワンサカ入っていて、「危ないなぁ」と思ったが、それは関係ない話だ。

しばらくして、看護師さんが「先程はありがとうございました」と言いに来た。
どうやら落とし主が見つかったようだ。

この出来事をきっかけに、ふと気づいたことがある。
誰かが良いことをすると、同時に悪いことが起きた人がいる。
必ずしもそうとは限らないが、そういうことは多い。

財布を落とした人がいたから、届けて感謝された。
カバンをひったくられた人がいたから、追いかけて捕まえた。
など。

昔、私が勤めていた会社で、ウェブサイトに占いを掲載しようという話が出たことがある。
企業サイトなので、まったくのウソはダメ。占い師に払うお金もない。
という流れから、自分で四柱推命を勉強しようと思い、本を買った。
その本の最初の方に「陰陽五行」が出てきた。

このとき、世の中のことは常に反対のものがあり、それで釣り合っていることを知った。
陰陽説である。昼と夜、上と下、勝者と敗者。
人が喜べば、悲しむ人がいる。これは少し無理やりだが、良いことをした人には、悪いことが起きた人がセットなのは理解しやすい。
経済も、儲かる人がいるから、損する人がいる。
地球レベルで考えると、質量保存の法則に近い。

そんなことを考えていると、診察室からさっきの年配の男性が再び現れ、私の隣に座った。
そして話しかけてきた。

「また、入院や…」
「今年の春に心臓の手術をして入院したんやけど、今度は肺に穴が空いてて、空気が漏れてるらしい…」
「このまま入院しなさいと言われたが、なんの用意もしてきてないし…妻も今朝、大阪の息子のところへ行ったし」
「ここは病院食がマズイし」

恐らく、先ほど診察券のことを尋ねたことで、私を知り合いと思ったのだろう。
おじいさんの愚痴に同意しながらなだめていたが、しばらくしてどこかへ行ってしまった。

それにしても、大きな病院は待たされる。いや、小さくても待たされるか…。
私はかかりつけ医からの紹介状を持ってきたので、朝一番に来なければならなかった。
その割に、呼ばれるまでが長い。検査は終わったが、診察室に呼ばれるのはおそらく最後。
座ったときは10人くらい待っていたが、あと2人になったので、もうすぐだ。
そういえば、昔は病院で携帯はタブーだったが、今は壁に無料Wi-Fiのお知らせが貼ってある。
2時間無料だって?!もう解禁なのか?

あれこれ考えていると、ようやく呼ばれて担当医から長い説明が。
待つのも長いが、説明も長い。
でも、長くてもありがたい。

そして、手術をすることになった。

10年以上前、私は大腸がんになった。
健康診断でたまたま見つかったのだが、そのとき思ったのが、
「私はもうこの世の中に用がないのかもしれない」ということ。
結婚して子供が成長し独立し、人間の為すべき責任は一旦済んだ気がした。
この先、生命を繋いでいくことはおそらくないので、生き物としてそれほど意味がない。
だから体は勝手に終末へと向かっていくのかなぁ…。

だが、内視鏡手術で簡単に治った。
そして、「私はまだこの世で何か必要とされているのかもしれない」と思った。

今回はがんではないが、手術が必要な病気になり、前と同じようなことを思った。
生きていても、何か人のためになることをしている実感はないし、CO₂を排出し続けるだけの、用が無い生き物かもしれない。

これは、無事に退院できたときにまた何か、思うことがあるはずだ。

何の兆候もなく、あるとき突然病気になる。
これは、お金を払おうとして財布を出そうとしたときに、落としたことに気づくような話だ。

悪いことが起きると、良いことがセットになっている。
私の命がここでつながったとき、良いことは私に起きたことになるのか?
私の命がここで絶たれたとき、良いことが起きるのは誰だ?

まさか、こたつでせんべいを食べながらテレビを見ているカミさんではあるまいな(怒)

健康自炊

通勤時間帯、都心と逆方向の電車はガラガラ。
座っている人たちは、全員スマホを凝視。まるで「情報摂取中」の表示が出ているかのようだ。
昔は音楽を聴く人、寝てる人、本を読む人がいた。今はみんな、スマホという名の情報の自動給餌機に夢中。

よく考えてみた。
乗車前よりも乗車後のほうが、脳内の情報量が増えている。
情報の定義は曖昧にしておくが、スマホから得た何かが脳に侵入しているのは確かだ。
彗星の軌道は変わらないし、地球の質量も変わらない。変わるのは人間の脳の中身。
つまり、人類は進化ではなく、情報で肥満している

AIに聞いてみたら、情報過多は健康に悪影響を与えるらしい。
これは大変だ。スマホは便利だが、健康を蝕む毒にもなる。
まるで「合法ドラッグ」。しかも中毒者は全員、ポケットにそれを忍ばせている。

思い返せば5年前の10月、私は会社をサボって海へ行った。
毎日の嫌なことが蓄積して疲弊していた。
平日の海岸で石を積み、スマホで写真を撮った。
心は疲れていたが、スマホは手放せなかった。
この時点で、すでに「情報依存症」だったのかもしれない。
石を積む行為は瞑想だったが、スマホで撮った瞬間にSNS用の供物になった。

最近私は一つの自炊を始めた。
まず、スマホのモバイル通信を常時OFFにした。
WiFi環境以外ではネットに繋がらない。
副産物として通信料が安くなる。これは「節約という名の強制断食」だ。
お金持ちにはできないかもしれない。彼らは情報もカロリーも無制限。

電車内や待ち時間には、スマホに入れた音楽を聴く。
目を閉じて、音に身を委ねる。
音楽は古代から治療に使われてきた。
情報ではなく、感情に働きかける。
クラシックでもパンクでも、脳に優しい「音の栄養」だ。
しかも副作用なし。唯一の注意点は、隣の人がヘッドバンギングしてると怖いことくらい。

そして、情報を得る時間を決めた。
私は机に座っているときだけ、情報を摂取する。
スマホではなくPCで。
これは「情報の定時制高校」みたいなものだ。
スマホは24時間営業のコンビニ。便利だが、栄養は偏る。

仕事前にニュースを読み、仕事中に調べ物をし、休憩後に少しネットをザッピングする。
このルールで、情報の暴飲暴食を少しだけ制限できている気がする。
…気のせいかもしれないが。

実は最近、体調が崩れている。
原因不明の不調が同時多発的に発生し、手術も決まった。
情報過多か、加齢か、不健康な生活か。
どれが原因かはわからないが、健康なほうがいいに決まっている。
少なくとも、スマホの通知音で心臓が跳ねる生活は卒業したい。

だから、みんな何か「自炊」してほしい。
情報も、食事も、生活も。
外食ばかりでは、心も体も消化不良になるのだ。
そして、スマホはたまに「絶食」させよう。
それが、現代人の新しい健康法――情報断食である。

動物哀歌

クマ被害が過去最高ペースだ。

クマはただ生きているだけで、世界征服をもくろんでいるわけではない。
人のいる地域に来てしまい、動くやつがいるから敵かと思い攻撃しただけのこと。ヒグマの場合は食うつもりだったかもしれないが、それは自然の摂理だ。
野生の動物は生きていくために必死だ。
人間の作物を食い荒らすとか、人間に襲いかかるとか、それ自体は自然のことだから防御するしかない。

さて、どう防御するのか?

一旦視点を変えてみる。
最近、山間の農村に行くと、田や畑に電線が張ってある。イノシシ除けだ。
イノシシは昔から住んでいる野生動物だが、なぜ近年、人里に来るようになったのか?
理由はいくつもあるが、どれも納得できる。

1. 耕作放棄地の増加と人間活動の衰退

  • 高齢化や過疎化により、農地が放棄され、藪や竹林が増加。
  • これらの場所はイノシシにとって隠れやすく、餌も豊富なため、人里との境界が曖昧になっている。

2. 森林環境の変化

  • 昔は焼き畑農業などで山が定期的に手入れされていたが、現在は放置されがち。
  • その結果、竹や雑草が繁茂し、イノシシの餌場として適した環境が山から人里近くまで広がっている。

3. 温暖化による活動期間の延長

  • 冬でも活動する個体が増え、繁殖力も高いため、個体数が増加傾向にある。
  • 気候変動により生息域が拡大し、都市部にも出没するようになった。

4. 人間による餌付けやゴミ管理の不備

  • 生ゴミや農作物の残りなどがイノシシを引き寄せる。
  • 一部地域では餌付けが習慣化し、イノシシが「人里=餌場」と学習してしまう。

5. 狩猟者の減少と保護政策の影響

  • 狩猟人口の減少により、イノシシの個体数管理が難しくなっている。
  • 一時期の保護政策により、絶滅寸前だったイノシシが増加に転じた。

また、昔は山と人里との間に緩衝地帯があり、野生動物は人里に近づきにくい環境があった。この緩衝地帯とは、次のようなものである。

1. 里山(さとやま)

  • 人が管理する雑木林や竹林、薪や炭を取るための森林。
  • 定期的に手入れされていたため、藪が少なく、イノシシが隠れにくい。
  • 人の気配があるため、野生動物が近づきにくい。

2. 畑や果樹園

  • 山と住宅地の間に位置し、農作業が行われていた。
  • 人の活動が多く、イノシシにとってはリスクが高い場所。

3. 水路・用水路・堤防

  • 地形的な障壁となり、イノシシの移動を制限。
  • 人工的な構造物が野生動物の侵入を防ぐ役割を果たす。

4. 集落周辺の空き地や草地

  • 定期的に草刈りされていたため、視界が開けていてイノシシが警戒する。
  • 人の生活圏との境界を明確にしていた。

これらのことを考えると、人の生活圏や生活習慣の変化によって、山と人の生活圏の境界が曖昧になってきたことは十分納得いく話だ。

クマを含め、野生動物が人の生活圏内に近づかないようにするためには、昔の生活環境を取り戻すことが良いかもしれないが、そんなことはかなり難しい。
田舎暮らしをしたい人が増えていると言っても、所詮は雀の涙。この広い日本中を変えてしまうほどには手が届かない。

調べてみたら、こんなのがあった。
日本学術会議という組織が行った公開シンポジウム
「増大する野生動物と人間の軋轢:これからの鳥獣管理と人間社会を考える」

残念なことに、会議の報告については出てないようだ。

日本の暮らしの中で、何か問題があれば解決に向けて話し合う人たちが出てくる。
素晴らしいことだ。
本来は、政治家がこうあってほしい。

身近なところで考えると、住んでいる地域や学校や会社、問題だらけだ。
この問題に対し、不満を抱えているだけで良いのだろうか?
何かできることはないか?
小さくとも集まれば大きな力になる。

そこを良くするのは、あなた自身だ。
もちろん私自身でもある(泣

泥棒組織

まだ私が若者だったころ、父がぽつりとこう言った。

「泥棒しか居ない村に住んだら、その人も泥棒になる」

そのとき、私と父の間で何が話されていたのかは覚えていない。
この言葉の意味もよくわからず、「自分もそうなるのか?」と不安になった記憶だけが残っている。
最近、この言葉を思い出すことが何度かあった。

前にも書いたかもしれないが、「一般的に会社というものは、社長が一番頭が良い」と言われることがある。
その理由はこうだ。

「社長より頭の良い人は、会社を辞めるから」

つまり、社長が一番賢いというのは、あくまで“残った人の中で”という話だ。
社長が決定したことに社員は従うが、それが社会で通用するかどうかは別問題である。

たとえば——
「ウチの会社は残業代を払わない代わりに、ニコニコ手当という聞いたこともない手当が毎月均等に100万円出ます」と言われても、それが残業代の代替であるならば、労働基準法に違反する。
固定残業代制度にも適切な明示と計算根拠が必要であり、単に「払わない」では済まされない。

泥棒の話も、これに近い解釈ができる。
周囲がみんな泥棒だったら、盗む行為が悪いことではなくなる。
恐ろしい話だが、現実にそういうことは起きている。

ある企業では、求人票に「勤務時間:9時〜17時、休憩1時間」と書いてある。
つまり、実労働時間は7時間のはずだ。
ところが、実際に働いている人に聞くと、8時前に出社することが求められ、17時になっても帰れない。
朝早くから家を出て、300kmほど離れた顧客のもとへ車で向かい、商談し、夜遅くに帰ってくる。
もちろん残業代など出ない。
この会社で働いている人は、それが“当たり前”になっているので、大きな不満はないようだ。
だが、新しく入社した人は驚いて、すぐに辞めてしまう。

さて、泥棒しかいない村に、ある日、正直者が引っ越してきた。
この人に残された選択肢は二つしかない。
1. 村を出ていく
2. 泥棒になる

まさか村人全員が改心して、盗みをやめる活動を始めるとは思えない。
正直者は、結局村を出るか、泥棒になるしかないのだ。

新しい組織の中で、常識的におかしなことが行われている場面に遭遇したとき、どうすればよいか?
私は、一秒でも早くそこを抜け出すことを勧めたい。
恐らくそれは、一人の力ではどうしようもないことだからだ。

少し話がそれるが、私が昔勤めた会社に入ったとき、妻が社長夫婦に挨拶する際にこう言った。

「この人は、曲がったことが嫌いな性格ですから…」

言われてみれば確かにそうだ。
上手い表現だと思ったが、実際の意図はこうだった。

人は、人が見ていなければ何をするかわからない生き物だ。
立ちションする酔っ払いも、悪いことだと知っているから人前では堂々としない。
それは自身のジュニアの貧弱さを隠すためではない。
このような人間が、社会の大半を占めている。

私は曲がったことが嫌いな性格なので、たとえば信号待ちを避けるためにコンビニの駐車場を横切るような行為が嫌いだ。
もし会社内で何か曲がったことが発生したら、それに対して意見してしまう。
これが、組織の中で暗黙のうちに認められていた場合、私は組織で孤立してしまう。
このときに、私を助ける“前振り”として、妻はそれを先に伝えていたのだ。
恐れ入る。
さすがカミ(神)さんだ。

正義を振りかざしても、正面突破できることは少ないのが現実だ。
なんて悲しい社会だろう。
それでも、あなたならどうする?
泥棒の村に入ってしまったとき、あなたは——。