泥棒組織

まだ私が若者だったころ、父がぽつりとこう言った。

「泥棒しか居ない村に住んだら、その人も泥棒になる」

そのとき、私と父の間で何が話されていたのかは覚えていない。
この言葉の意味もよくわからず、「自分もそうなるのか?」と不安になった記憶だけが残っている。
最近、この言葉を思い出すことが何度かあった。

前にも書いたかもしれないが、「一般的に会社というものは、社長が一番頭が良い」と言われることがある。
その理由はこうだ。

「社長より頭の良い人は、会社を辞めるから」

つまり、社長が一番賢いというのは、あくまで“残った人の中で”という話だ。
社長が決定したことに社員は従うが、それが社会で通用するかどうかは別問題である。

たとえば——
「ウチの会社は残業代を払わない代わりに、ニコニコ手当という聞いたこともない手当が毎月均等に100万円出ます」と言われても、それが残業代の代替であるならば、労働基準法に違反する。
固定残業代制度にも適切な明示と計算根拠が必要であり、単に「払わない」では済まされない。

泥棒の話も、これに近い解釈ができる。
周囲がみんな泥棒だったら、盗む行為が悪いことではなくなる。
恐ろしい話だが、現実にそういうことは起きている。

ある企業では、求人票に「勤務時間:9時〜17時、休憩1時間」と書いてある。
つまり、実労働時間は7時間のはずだ。
ところが、実際に働いている人に聞くと、8時前に出社することが求められ、17時になっても帰れない。
朝早くから家を出て、300kmほど離れた顧客のもとへ車で向かい、商談し、夜遅くに帰ってくる。
もちろん残業代など出ない。
この会社で働いている人は、それが“当たり前”になっているので、大きな不満はないようだ。
だが、新しく入社した人は驚いて、すぐに辞めてしまう。

さて、泥棒しかいない村に、ある日、正直者が引っ越してきた。
この人に残された選択肢は二つしかない。
1. 村を出ていく
2. 泥棒になる

まさか村人全員が改心して、盗みをやめる活動を始めるとは思えない。
正直者は、結局村を出るか、泥棒になるしかないのだ。

新しい組織の中で、常識的におかしなことが行われている場面に遭遇したとき、どうすればよいか?
私は、一秒でも早くそこを抜け出すことを勧めたい。
恐らくそれは、一人の力ではどうしようもないことだからだ。

少し話がそれるが、私が昔勤めた会社に入ったとき、妻が社長夫婦に挨拶する際にこう言った。

「この人は、曲がったことが嫌いな性格ですから…」

言われてみれば確かにそうだ。
上手い表現だと思ったが、実際の意図はこうだった。

人は、人が見ていなければ何をするかわからない生き物だ。
立ちションする酔っ払いも、悪いことだと知っているから人前では堂々としない。
それは自身のジュニアの貧弱さを隠すためではない。
このような人間が、社会の大半を占めている。

私は曲がったことが嫌いな性格なので、たとえば信号待ちを避けるためにコンビニの駐車場を横切るような行為が嫌いだ。
もし会社内で何か曲がったことが発生したら、それに対して意見してしまう。
これが、組織の中で暗黙のうちに認められていた場合、私は組織で孤立してしまう。
このときに、私を助ける“前振り”として、妻はそれを先に伝えていたのだ。
恐れ入る。
さすがカミ(神)さんだ。

正義を振りかざしても、正面突破できることは少ないのが現実だ。
なんて悲しい社会だろう。
それでも、あなたならどうする?
泥棒の村に入ってしまったとき、あなたは——。