汚れているのは心

人は、誰にも見られていないとき、何をするかわからない。
タバコのポイ捨て、立ち小便、泥棒もそうだ。
逆に、人に見られているときは、悪いことをする人はレアだ。普通は、見られていると良いことをする。
つまり、行動を決めるのは「視線」ではなく「心」なのだ。

今朝のテレビで、羽田空港が「世界一きれいな空港」だと紹介されていた。
画面に映ったのは、清掃会社の若い女性スタッフ。彼女は自分の担当箇所を黙々と清掃していた。

清掃の仕事は、床やトイレだけではない。壁、テーブル、ガラス、ありとあらゆるものを常にきれいに保つ。それが仕事だ。誰かに見られているかどうかは関係ない。
ここまで聞くと、私はこの仕事を「やっつけ仕事」に分類してしまう。積まれたタスクを次々に片付ける仕事だ。私はこれが苦手だ。なぜなら、飽きてしまうからだ。

しかし、彼女の言葉にハッとした。
「そこにいる人にお尻を向けないように気を付けています」
この気遣いに、私は驚いた。誰も気づかないし、感謝もしない。それでも彼女は続ける。これは最上級のサービスだと思った。
一日2万歩も歩きながら、ただやっつけるだけでなく、人への配慮を忘れない。
見られていなくても、同じレベルで仕事をする。誰もいなくても、責任を果たす。その積み重ねが「世界一きれいな空港」をつくっているのだろう。

私はどうだろう?
見られているとき、きっと盛ってしまう。本当は普段やらないことを、見られているときだけやってしまう。それが悪いとは思わない。でも、見られていないときも同じ態度でいたい。
結局、汚れているのは床ではなく、私の心なのだ。

この話は、私の仕事にも通じる。私はサービスを提供しているが、ターゲットが明確にいるから成り立っている。
でも、ターゲットが見えなくても、ビジネスは成り立たないのか?
考えてみると、面白い。多くの人が知らず知らずにメリットを得て、それで生計を立てられるなら、新しい分野だ。
……いや、利益をもくろんでいる時点で、不純か。

人に見られていなくても、普段と変わらずやっていること。
庭木の世話とか———

ガーン!!(◎_◎;)
ダメだ、凡人だ。