陰陽なのか?

いいことをすると、気分がいい。

待合室でふと横を見ると、診察券が落ちていた。
通りかかった看護師さんに「誰か落としていますよ」と声をかけると、その方が診察券を持って去った。
少しして、80歳くらいの男性が診察室から出てきて私の横に座った。
「診察券、落としていませんか?」と尋ねると、
「いや、俺は財布に入れとるから大丈夫や!」と答え、目の前で財布を開いて診察券を見せてくれた。
その財布には一万円札がワンサカ入っていて、「危ないなぁ」と思ったが、それは関係ない話だ。

しばらくして、看護師さんが「先程はありがとうございました」と言いに来た。
どうやら落とし主が見つかったようだ。

この出来事をきっかけに、ふと気づいたことがある。
誰かが良いことをすると、同時に悪いことが起きた人がいる。
必ずしもそうとは限らないが、そういうことは多い。

財布を落とした人がいたから、届けて感謝された。
カバンをひったくられた人がいたから、追いかけて捕まえた。
など。

昔、私が勤めていた会社で、ウェブサイトに占いを掲載しようという話が出たことがある。
企業サイトなので、まったくのウソはダメ。占い師に払うお金もない。
という流れから、自分で四柱推命を勉強しようと思い、本を買った。
その本の最初の方に「陰陽五行」が出てきた。

このとき、世の中のことは常に反対のものがあり、それで釣り合っていることを知った。
陰陽説である。昼と夜、上と下、勝者と敗者。
人が喜べば、悲しむ人がいる。これは少し無理やりだが、良いことをした人には、悪いことが起きた人がセットなのは理解しやすい。
経済も、儲かる人がいるから、損する人がいる。
地球レベルで考えると、質量保存の法則に近い。

そんなことを考えていると、診察室からさっきの年配の男性が再び現れ、私の隣に座った。
そして話しかけてきた。

「また、入院や…」
「今年の春に心臓の手術をして入院したんやけど、今度は肺に穴が空いてて、空気が漏れてるらしい…」
「このまま入院しなさいと言われたが、なんの用意もしてきてないし…妻も今朝、大阪の息子のところへ行ったし」
「ここは病院食がマズイし」

恐らく、先ほど診察券のことを尋ねたことで、私を知り合いと思ったのだろう。
おじいさんの愚痴に同意しながらなだめていたが、しばらくしてどこかへ行ってしまった。

それにしても、大きな病院は待たされる。いや、小さくても待たされるか…。
私はかかりつけ医からの紹介状を持ってきたので、朝一番に来なければならなかった。
その割に、呼ばれるまでが長い。検査は終わったが、診察室に呼ばれるのはおそらく最後。
座ったときは10人くらい待っていたが、あと2人になったので、もうすぐだ。
そういえば、昔は病院で携帯はタブーだったが、今は壁に無料Wi-Fiのお知らせが貼ってある。
2時間無料だって?!もう解禁なのか?

あれこれ考えていると、ようやく呼ばれて担当医から長い説明が。
待つのも長いが、説明も長い。
でも、長くてもありがたい。

そして、手術をすることになった。

10年以上前、私は大腸がんになった。
健康診断でたまたま見つかったのだが、そのとき思ったのが、
「私はもうこの世の中に用がないのかもしれない」ということ。
結婚して子供が成長し独立し、人間の為すべき責任は一旦済んだ気がした。
この先、生命を繋いでいくことはおそらくないので、生き物としてそれほど意味がない。
だから体は勝手に終末へと向かっていくのかなぁ…。

だが、内視鏡手術で簡単に治った。
そして、「私はまだこの世で何か必要とされているのかもしれない」と思った。

今回はがんではないが、手術が必要な病気になり、前と同じようなことを思った。
生きていても、何か人のためになることをしている実感はないし、CO₂を排出し続けるだけの、用が無い生き物かもしれない。

これは、無事に退院できたときにまた何か、思うことがあるはずだ。

何の兆候もなく、あるとき突然病気になる。
これは、お金を払おうとして財布を出そうとしたときに、落としたことに気づくような話だ。

悪いことが起きると、良いことがセットになっている。
私の命がここでつながったとき、良いことは私に起きたことになるのか?
私の命がここで絶たれたとき、良いことが起きるのは誰だ?

まさか、こたつでせんべいを食べながらテレビを見ているカミさんではあるまいな(怒)

健康自炊

通勤時間帯、都心と逆方向の電車はガラガラ。
座っている人たちは、全員スマホを凝視。まるで「情報摂取中」の表示が出ているかのようだ。
昔は音楽を聴く人、寝てる人、本を読む人がいた。今はみんな、スマホという名の情報の自動給餌機に夢中。

よく考えてみた。
乗車前よりも乗車後のほうが、脳内の情報量が増えている。
情報の定義は曖昧にしておくが、スマホから得た何かが脳に侵入しているのは確かだ。
彗星の軌道は変わらないし、地球の質量も変わらない。変わるのは人間の脳の中身。
つまり、人類は進化ではなく、情報で肥満している

AIに聞いてみたら、情報過多は健康に悪影響を与えるらしい。
これは大変だ。スマホは便利だが、健康を蝕む毒にもなる。
まるで「合法ドラッグ」。しかも中毒者は全員、ポケットにそれを忍ばせている。

思い返せば5年前の10月、私は会社をサボって海へ行った。
毎日の嫌なことが蓄積して疲弊していた。
平日の海岸で石を積み、スマホで写真を撮った。
心は疲れていたが、スマホは手放せなかった。
この時点で、すでに「情報依存症」だったのかもしれない。
石を積む行為は瞑想だったが、スマホで撮った瞬間にSNS用の供物になった。

最近私は一つの自炊を始めた。
まず、スマホのモバイル通信を常時OFFにした。
WiFi環境以外ではネットに繋がらない。
副産物として通信料が安くなる。これは「節約という名の強制断食」だ。
お金持ちにはできないかもしれない。彼らは情報もカロリーも無制限。

電車内や待ち時間には、スマホに入れた音楽を聴く。
目を閉じて、音に身を委ねる。
音楽は古代から治療に使われてきた。
情報ではなく、感情に働きかける。
クラシックでもパンクでも、脳に優しい「音の栄養」だ。
しかも副作用なし。唯一の注意点は、隣の人がヘッドバンギングしてると怖いことくらい。

そして、情報を得る時間を決めた。
私は机に座っているときだけ、情報を摂取する。
スマホではなくPCで。
これは「情報の定時制高校」みたいなものだ。
スマホは24時間営業のコンビニ。便利だが、栄養は偏る。

仕事前にニュースを読み、仕事中に調べ物をし、休憩後に少しネットをザッピングする。
このルールで、情報の暴飲暴食を少しだけ制限できている気がする。
…気のせいかもしれないが。

実は最近、体調が崩れている。
原因不明の不調が同時多発的に発生し、手術も決まった。
情報過多か、加齢か、不健康な生活か。
どれが原因かはわからないが、健康なほうがいいに決まっている。
少なくとも、スマホの通知音で心臓が跳ねる生活は卒業したい。

だから、みんな何か「自炊」してほしい。
情報も、食事も、生活も。
外食ばかりでは、心も体も消化不良になるのだ。
そして、スマホはたまに「絶食」させよう。
それが、現代人の新しい健康法――情報断食である。

動物哀歌

クマ被害が過去最高ペースだ。

クマはただ生きているだけで、世界征服をもくろんでいるわけではない。
人のいる地域に来てしまい、動くやつがいるから敵かと思い攻撃しただけのこと。ヒグマの場合は食うつもりだったかもしれないが、それは自然の摂理だ。
野生の動物は生きていくために必死だ。
人間の作物を食い荒らすとか、人間に襲いかかるとか、それ自体は自然のことだから防御するしかない。

さて、どう防御するのか?

一旦視点を変えてみる。
最近、山間の農村に行くと、田や畑に電線が張ってある。イノシシ除けだ。
イノシシは昔から住んでいる野生動物だが、なぜ近年、人里に来るようになったのか?
理由はいくつもあるが、どれも納得できる。

1. 耕作放棄地の増加と人間活動の衰退

  • 高齢化や過疎化により、農地が放棄され、藪や竹林が増加。
  • これらの場所はイノシシにとって隠れやすく、餌も豊富なため、人里との境界が曖昧になっている。

2. 森林環境の変化

  • 昔は焼き畑農業などで山が定期的に手入れされていたが、現在は放置されがち。
  • その結果、竹や雑草が繁茂し、イノシシの餌場として適した環境が山から人里近くまで広がっている。

3. 温暖化による活動期間の延長

  • 冬でも活動する個体が増え、繁殖力も高いため、個体数が増加傾向にある。
  • 気候変動により生息域が拡大し、都市部にも出没するようになった。

4. 人間による餌付けやゴミ管理の不備

  • 生ゴミや農作物の残りなどがイノシシを引き寄せる。
  • 一部地域では餌付けが習慣化し、イノシシが「人里=餌場」と学習してしまう。

5. 狩猟者の減少と保護政策の影響

  • 狩猟人口の減少により、イノシシの個体数管理が難しくなっている。
  • 一時期の保護政策により、絶滅寸前だったイノシシが増加に転じた。

また、昔は山と人里との間に緩衝地帯があり、野生動物は人里に近づきにくい環境があった。この緩衝地帯とは、次のようなものである。

1. 里山(さとやま)

  • 人が管理する雑木林や竹林、薪や炭を取るための森林。
  • 定期的に手入れされていたため、藪が少なく、イノシシが隠れにくい。
  • 人の気配があるため、野生動物が近づきにくい。

2. 畑や果樹園

  • 山と住宅地の間に位置し、農作業が行われていた。
  • 人の活動が多く、イノシシにとってはリスクが高い場所。

3. 水路・用水路・堤防

  • 地形的な障壁となり、イノシシの移動を制限。
  • 人工的な構造物が野生動物の侵入を防ぐ役割を果たす。

4. 集落周辺の空き地や草地

  • 定期的に草刈りされていたため、視界が開けていてイノシシが警戒する。
  • 人の生活圏との境界を明確にしていた。

これらのことを考えると、人の生活圏や生活習慣の変化によって、山と人の生活圏の境界が曖昧になってきたことは十分納得いく話だ。

クマを含め、野生動物が人の生活圏内に近づかないようにするためには、昔の生活環境を取り戻すことが良いかもしれないが、そんなことはかなり難しい。
田舎暮らしをしたい人が増えていると言っても、所詮は雀の涙。この広い日本中を変えてしまうほどには手が届かない。

調べてみたら、こんなのがあった。
日本学術会議という組織が行った公開シンポジウム
「増大する野生動物と人間の軋轢:これからの鳥獣管理と人間社会を考える」

残念なことに、会議の報告については出てないようだ。

日本の暮らしの中で、何か問題があれば解決に向けて話し合う人たちが出てくる。
素晴らしいことだ。
本来は、政治家がこうあってほしい。

身近なところで考えると、住んでいる地域や学校や会社、問題だらけだ。
この問題に対し、不満を抱えているだけで良いのだろうか?
何かできることはないか?
小さくとも集まれば大きな力になる。

そこを良くするのは、あなた自身だ。
もちろん私自身でもある(泣

泥棒組織

まだ私が若者だったころ、父がぽつりとこう言った。

「泥棒しか居ない村に住んだら、その人も泥棒になる」

そのとき、私と父の間で何が話されていたのかは覚えていない。
この言葉の意味もよくわからず、「自分もそうなるのか?」と不安になった記憶だけが残っている。
最近、この言葉を思い出すことが何度かあった。

前にも書いたかもしれないが、「一般的に会社というものは、社長が一番頭が良い」と言われることがある。
その理由はこうだ。

「社長より頭の良い人は、会社を辞めるから」

つまり、社長が一番賢いというのは、あくまで“残った人の中で”という話だ。
社長が決定したことに社員は従うが、それが社会で通用するかどうかは別問題である。

たとえば——
「ウチの会社は残業代を払わない代わりに、ニコニコ手当という聞いたこともない手当が毎月均等に100万円出ます」と言われても、それが残業代の代替であるならば、労働基準法に違反する。
固定残業代制度にも適切な明示と計算根拠が必要であり、単に「払わない」では済まされない。

泥棒の話も、これに近い解釈ができる。
周囲がみんな泥棒だったら、盗む行為が悪いことではなくなる。
恐ろしい話だが、現実にそういうことは起きている。

ある企業では、求人票に「勤務時間:9時〜17時、休憩1時間」と書いてある。
つまり、実労働時間は7時間のはずだ。
ところが、実際に働いている人に聞くと、8時前に出社することが求められ、17時になっても帰れない。
朝早くから家を出て、300kmほど離れた顧客のもとへ車で向かい、商談し、夜遅くに帰ってくる。
もちろん残業代など出ない。
この会社で働いている人は、それが“当たり前”になっているので、大きな不満はないようだ。
だが、新しく入社した人は驚いて、すぐに辞めてしまう。

さて、泥棒しかいない村に、ある日、正直者が引っ越してきた。
この人に残された選択肢は二つしかない。
1. 村を出ていく
2. 泥棒になる

まさか村人全員が改心して、盗みをやめる活動を始めるとは思えない。
正直者は、結局村を出るか、泥棒になるしかないのだ。

新しい組織の中で、常識的におかしなことが行われている場面に遭遇したとき、どうすればよいか?
私は、一秒でも早くそこを抜け出すことを勧めたい。
恐らくそれは、一人の力ではどうしようもないことだからだ。

少し話がそれるが、私が昔勤めた会社に入ったとき、妻が社長夫婦に挨拶する際にこう言った。

「この人は、曲がったことが嫌いな性格ですから…」

言われてみれば確かにそうだ。
上手い表現だと思ったが、実際の意図はこうだった。

人は、人が見ていなければ何をするかわからない生き物だ。
立ちションする酔っ払いも、悪いことだと知っているから人前では堂々としない。
それは自身のジュニアの貧弱さを隠すためではない。
このような人間が、社会の大半を占めている。

私は曲がったことが嫌いな性格なので、たとえば信号待ちを避けるためにコンビニの駐車場を横切るような行為が嫌いだ。
もし会社内で何か曲がったことが発生したら、それに対して意見してしまう。
これが、組織の中で暗黙のうちに認められていた場合、私は組織で孤立してしまう。
このときに、私を助ける“前振り”として、妻はそれを先に伝えていたのだ。
恐れ入る。
さすがカミ(神)さんだ。

正義を振りかざしても、正面突破できることは少ないのが現実だ。
なんて悲しい社会だろう。
それでも、あなたならどうする?
泥棒の村に入ってしまったとき、あなたは——。

時の流れに身を任せ…るな!

向かいの高い石垣の上から、コテツがよく吠えていたが、そういえば近頃声を聞かないな?
顔を覗かせた奥さんが、ひと月前に亡くなったと言った。13歳、肝臓を悪くしていたらしい。
ウチのカボスは、上から吠えられてもいつも何知らぬ顔で通り過ぎていたが、吠え方が激しいので私の方がドキっとさせられていた。しかしもう、その声はない。静かな秋だ。

カボスとの散歩道の途中、取り壊しが始まった家を見ることがある。
あれ、確かこの家は、おじいさんが一人暮らしだったはず。先週も散歩の途中に挨拶をしたが…
その家の跡には空き地が残り、すぐに雑草が生え始めた。

時々顔を会わすアメリカンコッカースパニエル。連れてるはずの飼い主さんが、夫婦だけで散歩していた。12歳で先月亡くなったと言う。

新しい景色が出来ていく前に、今が終わる寂しい時間帯がある。生命の折り返し以降の寂しさは、誰しもできれば味わいたくない。

周りの景色が変わり始めて、時間の経過を認識する。当然私も犬も家も車も、その時間経過を経て今なのだ。先週、車のバッテリー異常のメッセージが出て、あれ?ついこの前交換したよな??と思ったが、もうそれから4年半経っていたのだ。時の流れの速さに気付いてないだけだ。

充実してようがしてなかろうが、とにかく時はどんどん過ぎて行く。

会社員も経営者も、案外速い時の流れを意識してほしい。そのアンテナを張ってないと、気が付くのが遅れ、手遅れに。

会社のように生き物ではない場合、ビジネスが生まれたからと言って必ず死ぬわけではない。衰退期が始まったとしても、やり方次第ではまた息をふきかえす。
しかし衰退期からの復活は中々難易度が高い。難易度が低いうちに計画して衰退しないように務めることが良いが、経営者が気付かないと従業員は去るし、復活もできない。

今何をすべきなのか?

このテーマは、永遠に終わらない。なぜなら、半年後にはまた半年後なりの、「今何をすべきなのか?」があるからだ。
大筋道を付けたら、定点観測し、軌道修正することが必須なのだ。
残念ながら、中小企業のうち、これができている会社は少ないと思う。できていると思っている企業も、従業員は意味がわからないまま事務的にそれをやっているだけで、結局は評価とか給料のためになっている。

生き物の終わりは努力しょうがない。でも会社のそれはいくらでも努力できる。

あなたの会社で努力するのは誰か?
役職は、努力順になっている。
是非とも頑張ってほしい。

秋はまだか?

9月も中旬になり、夏の酷暑も終わりつつある今日この頃。
あきらかに、半月~ひと月ぐらいの夏の長さを感じずにはいられない。
今頃はナツバテの時期でもあるが、それも10月初旬くらいにずれ込むのか?
せっかくの秋が楽しめなくなりそうな温暖化の現代は憂鬱だ。

さて。

最近また、いろんな社長と会う機会があった。
どの社長にも共通して言えるのは、社長はそんなにバカではない。
なんだか失礼な言い方だが、あらためてそう思った。

仮に、会社を継がせる子供がバカだった場合、その社長は子供に会社をなかなか継がせない傾向がある。要は、いつまで経っても社長を続けている年老いた社長は、息子や娘に社長が務まらないとわかっているケース。これはよく見る。
そのことがわかっているだけで、社長はバカではない。

別の話。
自分に自信がある社長は、それが器から溢れてしまっている。
人ができないような努力をし、人がしないような難しいTASKをいくつも走らせる。とても凄いことだ。バカではない。そしてついに、人が自分と同じようにできない場合、その人のことをバカだと思う。そしてついに溢れ出る瞬間、「あいつは頭が悪い」と口に出して言ってしまう。
人を蔑んで、それを人前で口に出したとき、私はその人は頭がいいのか悪いのかわからなくなる。

ものすごくにこやかで、接しやすい社長もいる。
実はこのタイプが一番難しい。とうぜんバカではない。食虫植物のようだ。
そして、いま私は、このタイプを真似ている。
自分が多く語ってしまうと、聞いた人に分析されて私自身が筒抜けになってしまう。
以前はこのタイプだった。そして、人のことをアホ呼ばわりしていた。残念な人間だ。
誰が見ても魅力的ではない。これに気が付いて、自分を抑えている。
周りの人が集まってくる絶対要素は笑顔だ。苦手ながらこれを取り込み、自分のことは多く語らず、相手の話を聞くようにして、落ち着いて、笑顔で、物静かに。

温暖化で毎日暑いし、あ~、とてもストレスになる。。。

私は自分では笑顔が似合わないと思っている。
しかしビジネスには笑顔が必要なのだ。
家を出たとき、まず思いっきり口角を上げる。これで多少笑顔に見える。犬の散歩の途中も、車を降りてコンビニに入る時も、自分が笑顔に近いのか意識している。

努力せずにこれが出来ている人や、素の状態がすでに笑顔に見える人が羨ましい。

日々の技術革新に合わせて、私の努力すべきことは多い。それはそれなりに勉強し続けてはいるものの…、人の接し方、褒め方、笑顔の作り方までやっていると、本当に疲れる。

まあしかし、笑顔ですれ違う多くの人が、それに取り組んでいるのかもしれない。みんな頑張っているのだ。
なんであんな自然な笑顔で歩けるのか、聞いてみたい。
Googleで色々調べていたら、「笑顔は内面の状態を映し出す鏡のようなもの」と出てきた。
ゲゲッ!!
努力は無駄だった…(泣

うちの犬は、人の機嫌を取らないし、不満も言う。
なのに、好かれる。そして飽きも来ない。
さすがにこれは、温暖化は関係なかろう(笑

AI随筆処女作

今年の夏も、夜空に花火が咲いた。だが、例年とは違う。
事故が相次ぎ、打ち上げ筒が暴発し、台船が炎に包まれ、観客が避難する騒ぎとなった。ニュースは「安全管理の不備」「技術者不足」「気象条件の変化」と、原因を並べ立てる。

セイ兵衛は、縁側でその報道を見ながら、麦茶をすすった。

「花火ってのは、人を癒すもんじゃなかったかねぇ…」

空に咲いて、すぐに消える。その儚さが、過去を偲び、未来を願う心を呼び起こす。だが、癒しのはずが、恐怖を生むなら、それは本末転倒だ。

ふと、テレビのチャンネルを変えると、今度は海外のニュース。地球温暖化対策の国際会議が紛糾している。ある先進国が、CO2削減の枠組みから脱退したという。理由は「経済への影響」。セイ兵衛は、眉間にしわを寄せた。

「地球を守るってのも、人を癒すことじゃないのかねぇ…」

森を守る人、海を浄化する人、再生可能エネルギーを開発する人。
彼らは、誰かの未来のために、今日を犠牲にしている。だが、政治や経済の都合で、その努力が踏みにじられることもある。

花火大会も同じだ。伝統を守り、技術を継承し、安全を確保するために、裏方の人々が汗を流している。だが、予算削減、後継者不足、気象の変化…。癒しを届けるはずの人々が、癒されることなく、疲弊している。

セイ兵衛は、縁側から庭を見渡す。夕暮れの空に、遠くで小さな花火が上がった。誰かが誰かのために、願いを込めて打ち上げたのだろう。

「癒しってのは、誰かが願って、誰かが支えて、ようやく届くもんなんだな…」

そして、それを阻むのもまた、人間。

セイ兵衛は、静かにため息をついた。

「人ってのは、癒しを求めながら、癒しを壊す生き物なのかもしれんねぇ…」


今回のは試し書き程度ですが、AIと会話しながら、エッセイを書いてみました。
書いてみたというより、AIが勝手に書きよった(笑
あまりに面白くて掲載しました(爆

今後チョイチョイやってみます(笑

ヒヤリハット

たまたまのこと。
私の部屋にテレビがあって防犯カメラのモニターに使っているが、よほどのことがない限り見ないので、いつも布のカバーを掛けて消している。

たまたま作業に板状のものが必要になり、キョロキョロ探すと…テレビの前に立てかけていたアクリル板があった!
そして、それを手に取ると、何やらとても熱い。ん?
昼間は2Fの部屋の温度が上昇するとはいえ、こんなに熱いのはおかしい。
そしてテレビを触ると、とても高温になっている。アチチー

テレビのカバーを外してみたところ、電源が入って防犯カメラの映像が映っているではないか!
テレビの電源はテレビ上部のボタン式。何かの拍子で押したに違いない…
テレビがついた状態のまま、すっぽり布のカバーをされてる状態だ。
テレビの電源は切って、コンセントも抜いた。

気づかない場合は、火事になってもおかしくない。
普段使わない家電製品のコンセントは抜いておくことが肝要だ。家じゅうのコンセントをチェックした。

ところで最近、モバイルバッテリーの発火が報道される。
これはリチウムイオン電池に限ったことなのか?

私は2Fの窓際の日が良く当たる場所に、ソーラー式のLEDイルミネーションをいくつも置いている。
昼間に勝手に充電し、夜になると窓から外へきれいな光を放つ。暗い夜に疲れて帰る人の癒しになればと数年前から設置している。

バッテリーの発火は、高温になる環境が危険だと聞いた。
ソーラーのバッテリーは大丈夫か??心配になったので、AIに質問してみた。

「最近、モバイルバッテリーの発火がよく報道されるが、これはリチウムイオン電池に限ったことなのか?ニッカドでも危険なのか?ニッケル水素は?それが知りたい。」

まず嬉しかったのは、「とても良い質問ですね」と、AIに褒められた。
最近褒められることがないので、嘘でもうれしい。
人を褒めることを忘れないようにしないと。。。
カミさんも褒めると少しは…
おっと、話を戻そう。
AIの回答は次の通り。

電池の種類発火リスク主な原因備考
リチウムイオン電池高い過充電、物理的損傷、内部短絡、高温モバイルバッテリーやスマホに広く使われる。高エネルギー密度だが、制御が難しい。
ニッカド電池(NiCd)低いがゼロではない過充電、劣化によるガス発生古いタイプ。環境負荷(カドミウム)あり。
ニッケル水素電池(NiMH)比較的低い過充電、密閉型でのガス圧上昇eneloopなどに使われる。安全性は高いが、過充電には注意。

リチウムイオン以外は大丈夫そうだ。

電子タバコを車に置いている人は要注意だ。
私はモバイルルーターを車に置いたままにしているが、この夏から持ち歩くことにした。

火事になったり、燃えたり怪我したりてからでは遅い。
今できることは、リチウムイオン電池が搭載されているものは何か把握し、高温にならないような取り扱いを心がけることだ。

夏は暑いのが当たり前。
しかしそこにあるものは、本当に昔からある安全なものか?。
いち早く危険を察知し、対策を打つ。
仕事と同じである。
夫婦仲も同じかもしれない…w

参政党

参議院選挙が終わった。
参政党がすごい。

「すごいね、参政党!」

知人から、この言葉を何度か聞いた。

次の選挙はもっとすごいと思う。
なぜならば、参政党のことをよく知らない人がまだまだ多いからだ。

そもそも、なぜ自民党が強かったのか?
言わずともわかるが、日本全国、癒着しまくりだ。
大都市圏では、自分の仕事がどの政治家に支えられているかなんてわかりにくいが、地方はそうではない。推しの議員が当選しなければ、明日の仕事が危うい。昭和丸出しの世界だ。
AIも活躍する文明社会のいま、あってはならない話だが、残念ながら人間なんてこんなもんだ。

〇〇先生が敷いてくれた鉄道、道路、港湾、球場、…
これで急成長した昭和の日本。
もうこれはやめましょうよ。と言っても、やめられるわけがない。

真面目に投票に行く中高年は、自民党にコケてもらっては困る人は多くて、政治に興味がない若い人は、正義感が強いわけではなく何にも興味がないだけだ。あ、これは別の問題だった。

今回自民党がコケた理由の一つに、「残念な石破さん」がある。
負けてさらに残念な感じが倍増した。
正義感があるようで、個人的には嫌いではないが、人を束ねる能力は無い。
もう総理は早々に辞めなければ国民のために悪い。

利権にまみれた人たちでさえ自民党離れが起きているから、理路整然と弁をふるう野田民主党は優位だ。…とも言っていられない。なぜなら、「参政党」の出現だ。

みんな、一から政治を国を作ろうよ、その汚れてないきれいな手で。
※これは個人的な見解です

こう言われて、反応しない大人は少ない。
次の衆議院選挙では、自民党はさらに大敗し、参政党は大きく票を伸ばす。
自民党を推していた人は、どうしていいのかわからなくなってくるだろう。

正義とは何だろう?
公平なことが正義か?
自分を推す人を助けることか?

参政党のことをよく調べてみてほしい。
私もまだあと僅かながら生きていると思うので、頑張っているきれいな手を応援したい。

経験は金で買えない

庭のブルーベーリーの木に、雀がむらがっている。
いま、ブルーベーリーは毎日収穫できるほど、実が成っている。

昨年までは、鳥が来ることなんてなかったのになぁ…
そうだ!こうなのかもしれない。
例年ならば、今頃は梅雨のど真ん中。
雨が降り続き、地面からはミミズが出てきて、小鳥のエサは豊富だが今年はどうだ?
異例の速さの梅雨明けで、毎日晴天続きだ。
ミミズはすぐに干からびて、エサが少ないのか?

しかし、小鳥にブルーベーリーの実を食べられても、それほど腹も立たない。
理由はいくつかある。

まず、今年の庭のブルーベリーは、実が小さい。
昨年の冬剪定のとき、剪定が甘くて花がつきすぎた。花芽を残しすぎたのだ。
結果、とても多くの実が成り、実は小さくなった。
大きくて甘い実がついていたら、防鳥対策をしたと思う。
我ながら小さな人間だと思う。
それから、阿蘇で栽培しているブルーベーリーがよく採れた。
一年分のジャムも作れたので、今のところブルーベリーには困っていない。
満腹なので欲が少ないと言うところだ。私は残念な人間なのだ。
そして最後は、鳥も生きている。
何か食べ物が欲しいときは、可能なら分けてあげたい。
嘘っぽい理由だが本当のことだ。信じてくれ。

長年生きると、生きた分だけの経験をする。
今年また経験したのは、実の大きさと木の剪定だ。
梅干を付けるため、阿蘇で栽培している梅の実も採ってきた。
昨年、大きな剪定をした梅の木は、今年大きな実をつけた。
剪定しなかった木は、多くの実をつけたが小さい。
ブルーベリーも同じ話だ。大きな実は誰もが喜ぶ。
大きな実をつけさせるために、木の大きさに合った剪定が重要だということを経験した。

うちでは栽培してないが、福岡では庭にビワの木を植えている家が多い。
しかし、どの家も、ビワの木はほったらかしだ。小さな実がいっぱい成っている。
ビワは木の剪定もそうだが、大きな実を作るために最も重要なのは花の剪定をすることだ。
このことは、普通の人は知らないと思う。
昔ビワを通販したときに、農家の人に教えてもらった。

ビワは花がまとまってたくさん咲くが、その花1つを残してあとは切る。
こうすることで、本来6~7個固まって実がつく予定の場所に1個の実になる。
当然ながら1個の実は大きくなる。リンゴなどもそうだ。5つの花の1つを残してあとは切る。
近所の人に教えてあげたいが、ビワの木が植えてある家の人と仲良しではない。

逆もある。
温州ミカンは、実の剪定をしてはいけない。
剪定すると1つのミカンは大きくなるが、味は水っぽくて不味い。
おいしいミカンは、たわわに成らせる。当然ながら実は小さいが数は多い。
すると酸っぱくて小さいミカンができる。
この酸っぱいミカンを風通しの良い土蔵のような場所で寝かせると、甘いミカンに変身する。
私は小さいミカン以外買わないことにしている。

たまたま作物の話を書いたが、生きているということは仕事も遊びも同じように何かを経験し、身に付いていく。
長く生きた人は経験が長い
若い上司は年配の部下を馬鹿にしたような態度をとることがあるが、一日の長と言うように、その先輩にはあなたには無い経験がある。また、長幼の序という言葉もある。年長者にはそれなりの敬意をもって接してほしい。

それができる人は、人からも敬われるだろう。