最初の一歩

ひとりの人間が、「こうあるべきだ」という考えを持つ。
それをみんなの前で話をした。
別の人も自分の考えをみんなの前で話をした。
多くの人が賛成する意見が、みんなの意見として採用される。
最終的に採用されるには、多くの賛成が必要だ。

「多くの賛成を得るために」

この言葉が、もう間違いの始まりではないのか?
多くの賛成を得るために、人の理解を促す活動なら間違いではない。
採択されるための、多くの票が集まるための、そう思ってない人も1票投じてくれるための、自分に託してくれる喜びを感じ続けるための、家族や子孫が反映し続けられるよう…
と、おかしな目的になる。

人は今より大きな力を得ると、さらに大きな力を得ようとする。
これを繰り返して、とても大きな力を得る。
そして、最初は本人も望んでないはずの、人の涙や人の血が流れる。

世界中、どこを見てもこの方程式に沿っている。
人に向かってミサイルを撃つ。
こんなことあって良いわけがない!

人は最初の一歩を忘れずに生きていくことはできないのかもしれない。
漫画でも映画でも、ヒーローはそれを忘れていないから慕われるのであろう。

エアコン

今年の夏は地獄のように熱い。。。
これは日本人の大部分が経験してる。
そして、エアコンは暑い時に壊れる(>_<)

6月末に寝室のエアコンが壊れた時は、もう動かないので分かり易かった。
10年経ってるし…即購入で入れ替えた。想定外の出費だ(泣
そして、昨年ごろから効きが悪いなぁと感じていたリビングのエアコン、今年も効きが悪く動作がおかしいのだ。
リビングのエアコンは、朝6時頃から夜の12時ころまで動かすため、同じ10年使ったと言えども、運転時間は寝室よりも長い。

25℃に設定して、グウォーンと高出力で動作したかと思えば、室温はまだ高いのに止まってる様子…そしてまた動作開始、また止まってるような…
当然ながら、希望通りの室温になるときもあれば、ならずに室外機が止まっているときもある。

たまたまだが、室外機を見に行った時に、ガス側(太いほう)の配管が凍っていた。
これはガス欠の症状でもある。
室内の熱交換機を見てみると、凍ってない。アレ?ガス欠じゃないのかな?
リビングのエアコンはフィルターのお掃除機能も付いている。だから室内の熱交換機やフィルターは、とてもきれいに見える。
冷房能力は7.1Kwで、とてもパワーがある。そして買い直すなら、とてもパワーが必要だ。
ヤバい(汗

ネットで調べて修理業者を呼んでみた。

業者はガスの圧力を見て、ガス圧は正常ですと言った。
そして室内機の状態を見て、恐らく熱交換器の中が詰まっていると思われますと言って、吹き出し口の風に手を当てて見てくださいと言った。
私は言われるがまま手を当てて、その手を右から左へとゆっくり動かしてみると…
風が出てない箇所がある(@_@;)

業者は、表面的にはきれいに見えても、中でつまっている証拠ですと言った。

確かに風が出てない部分があるとは…ウムム…
念のため、サーミスタ(温度検知センサー)も併せて交換しましょうと言われたので、見積もりを頼んだ。明日、金額を連絡しますと言って、その日は調査費と言う名目で8,800円徴収された。

さてその翌日。
一日待ったが連絡がない。

ここで話は変わるが、Temuという販売サイトがある。
Yahooのニュースにも、その怪しさが出ている。

私はここで買い物をしたことがあり、その時なぜかコレを買っている。
リンクを開かない方のために書くと、エアコンのお掃除KITと言うものだ。金額は250円ほど。中身は、ビニールの袋とホースのセット。エアコンを水で洗い流すときエアコンに取り付けて、洗い流した汚れた水を回収するためのビニール袋だ。
Temuは送料無料になる条件として、2,000円以上の購入が必要だ(私の場合はそうだが、人によっては違うかも)。
だから、本来買いたいもののほかに、余計なものを買って合計金額の調整をするが、その調整で買ったものだ。

そのエアコンのお掃除KITが家にある。
これを使うときは今じゃないのか?
若い時に空調屋で働いた経験もあるので、室内機のカバーを外して自分で洗浄してみた。
我が家にある高水圧洗浄機は外回りや車を洗う時に使うものなので、家庭のエアコンを洗浄するにはパワーが大きすぎる。
電動の農作業用の小型噴霧器を持っていたので、それでチマチマ洗った。

熱交換器はスプレーで洗剤をふりかけて、しばらく放置。その間に吹き出し口から見えているファンの洗浄。これがとても汚い(-_-;)
バラして洗浄して組み立てるまで2時間ほど要したが、苦労した甲斐もあって、バリバリ冷えるようになった。万歳!

今回学習した事がある。
フィルターの掃除機能が付いているエアコンは、表面的に見てとてもキレイに見える。勝手にフィルターのお掃除をしてくれているから、きれいが当たり前だ。
問題は、お掃除機能付きのフィルターは、とても目が細かい。このとても細かい目をくぐり抜けるゴミがある。恐らくそれは、PM2.5とか黄砂のような微粒子だ。
これが長年内部に付着し続けた。
洗浄で出た汚れた水の中には、ホコリのような固形物は無く、泥のような汚れだった。
エアコンにお掃除機能が付いていても、中は汚れが付着して行くので、定期的な洗浄が必要なのである。

そして。

全部終わってから、見積もりの連絡をくれることになっていた業者に電話してみた。
もう直ったので見積もりしてもらう手間が申し訳ない。
電話口に出たのは聞き覚えのある声だった。2日前にイロイロ話をしたから耳が覚えている。

「あの、先日修理に来てもらった者ですが…見積もりしてくださるという事で連絡を待ったいたのですが…」

すると、「え?私がお邪魔しましたでしょうか?」

訪問したことさえ完全に忘れているようだ。そんなことあるかな?
「あの、見積もりはもう結構ですので」と言って電話を切った。

8,800円請求されたとき、まだ作業残があるから全部終わってから一括で支払いたいと申し入れると、今日の分は支払ってくださいと妙に押してくるから変だなあと思ったが、もう来る気が無かったんだなあとも思える。もちろん、そのあともずっと連絡はないままだ。

一般的には聞きなれない言葉だが、「予防保全(preventive maintenance)」という言葉がある。
機械類を扱う人たちにとっては常識的な事だが、一般人はあまり意識しない。
意識しなくても、実はやっていることだ。
エアコンのフィルターをこまめに掃除するのは予防保全だ。
しかし住む地域によってはフィルターを掃除するだけでは足りないのだ。
福岡は大陸のほうから色々飛んでくるため、内部洗浄も時々やっておいたほうが良い。

往々にして、予防保全は掃除していれば良いような気がするw

憂鬱

研究と言う仕事は面白そうだ。

新聞には、「人工光合成、世界最大級の実証施設」とか「ウナギ稚魚、丸のみされても胃から脱出」とか、ジャンルを問わず研究成果が出ている。

研究者には私には見えない苦しみがあると思うが、普通のサラリーマンと比べるとはるかに楽な仕事に思えてならない。
通常、生きるために行きたくもない会社へ行き、やりたくもない仕事をし、割に合わない給料で細々暮らすという人は少なくはない。
そこへ来て研究者は、好きなことをやってるだけに思える。そして給料をもらい、場合によってはノーベル賞のような偉業を成し遂げる。

これは隣の芝が青く見えているだけなのか?

人は、好きなことを仕事にできているのか?
好きなことも、仕事にすると嫌いになるんじゃないのか?
好きな人も結婚すると嫌いになるんじゃないのか?
これは角度が違う話だったw

私は「やりたい人」に分類されるタイプで、何でもやってみたい。しかしすぐに飽きる。
飽きずにやり続けている事も色々あるが、これが仕事となるとどうか?
恐らく嫌で仕方なくなる。
もしかしたら、私は仕事になると全て嫌なのかもしれない。とんでもないグウタラだ。

世の中には「サザエさん症候群」という言葉がある。
日曜の夕方になると、明日の仕事が憂鬱になるということであるが、ホラ、やっぱりみんなも仕事は憂鬱なのだ。

最近よく使うが、AIに聞いてみた。なぜ仕事は憂鬱なのか?
このような回答が来た。

  1. 仕事の内容がつまらない:やりがいや成長を感じられないと、仕事が単調で退屈に感じられることがあります1
  2. プレッシャーが大きい:上司からの期待やノルマが厳しいと、精神的な負担が増え、憂鬱になることがあります2
  3. 人間関係の問題:職場の同僚や上司との関係が悪いと、毎日がストレスフルになります2
  4. 長時間労働:残業が多かったり、休みが少なかったりすると、心身ともに疲れが溜まりやすいです1
  5. 通勤のストレス:満員電車や長時間の通勤は、それ自体が大きなストレス要因です2

もし仕事が憂鬱で辛いと感じているなら、まずは自分が何に対して憂鬱を感じているのかを明確にすることが大切です。そして、可能であれば上司や信頼できる同僚に相談したり、休息を取ることも考えてみてください2

まあ…、想像した範囲の回答が来た。

仕事が憂鬱なのは仕方ない。と、するのが良いのか悪いのかは別の機会に考えるとして、その憂鬱さを軽減する方法はあるかもしれない。
例えば楽しみを追加するとか。

あ~、明日も会社に行くのが憂鬱だなあ…
そうだ、帰りに新しくできた映画館へ寄って、映画を見て帰ろう!
とか。
…もはや、仕事ではないw

毎日飽き飽きした仕事の中で、仕事としての楽しみを見つけられるのか?
仮に見つかったとしても、その楽しみは果たして仕事なのか?
ここで1つ正解なのは、「仕事が憂鬱な人は、仕事以外の楽しみを増やす」だと思う。

しかしながら、仕事が憂鬱ではない人はいるのであろうか?

ここで話が変わるが、「波」のようなものに乗って、時間が進んでいる気がする。
いったい何の話かと言うと、「波」というのは強弱のことで、強かったり、弱かったり。
これを判断する基準点によっては、プラスだったりマイナスだったりという話だ。人生はいつも波に作用されている。

例えば、分娩代で陣痛に襲われる妊婦さんは陣痛の波があって、強く痛みが来る時と、落ち着いているときと、痛みの波がある。太陽は、東の地平線から登り始めて南中し、また西の地平線へ向かって沈んでいく。睡眠は浅い眠りから深い眠りを繰り返す。食欲があるときと、ないときと。

仕事もそうじゃないのか?
楽しい時もあれば、つらい時もあるし、活躍するときもあれば、意気消沈するときもある。
仕事に行くのが憂鬱というときは、きっと永遠に続かない。てことは、また、楽しい時も訪れる。今の望んでない時間帯は、仕方ないんだ(大阪弁では、「しゃあないねん」という)。

もう1つ正解が生まれた。
「仕事が憂鬱な人は、「しゃあない」と思えば良い」だ。

「しゃあない」は諦めの言葉のようだが、そうではない。これが終わるための希望の言葉なのだ。私はいつもこの言葉を自分に言って、これまで生きてきた。

どんなに理不尽でも「しゃあない」と思って、負の時間が過ぎ去るのを待ちながら、仕事ではない楽しいことをしよう!

最後に、自問してみた。
このチマチマ書いているブログは仕事なのか?

しゃあないわw

シリコンで学ぶ

熊本県菊陽町やその周辺の変化が著しい。
言うまでもないが、半導体工場の進出によるものだ。

急激な変化は、暮らしの隅々にわたる。
考えただけでも恐ろしいほどある。
住民からしてみれば、別の国に来たほど変わっていくのだ。

1. 計画時点、着工までの変化
2. 着工から竣工までに起こる変化
3. 工場が稼働し始めてからの変化
4. 工場がさらに増えることによる変化

元々この小さな町に、そんな変化に対応する能力はあるのか?
仮にあっても無くても時はどんどん進むのである。

ここで気になることは、元々の住民の気持ちだ。
当然ながら、現状維持バイアスが働くため、この変化をよく思わない人も多く存在する。特に田舎の人は昔から排他的と言われ、新しい人を快く迎える空気が薄い。

逆にWelcomeの人たちも多くいる。この変化によって利益を生む人たちだ。
自分の会社や事業が潤う場合、(もしかしたら従業員は喜んでないかもしれないが)経営者は喜ぶ。
あとは地主。

この地域の多くは農地である。当然売ってくれと、話がどんどん出てくる。地価も上がる。
実は、農地を宅地や工業用地に地目を変えて使用するには、お役所様が黙っていない。
これまで町を支えてきた農産物が減ることを、簡単には許してくれないのであるが…
どうも、法令が書き換えられていると聞いた(裏を取ってないので、信憑性には欠ける情報だが)。
要は、議会により法が変わったと言うのだ。農地も地目を変えて売れる。

先祖代々引き継いできた土地も、「とても高く売れるなら売りたい」と思う気持ちは理解できる。また、建物を建てて貸すこともできる。

喜んでる人は良いとして、喜んでない人に対するケア(変化の説明)が必要だが、これは役所の仕事ではないかと思う。
菊陽町のホームページをのぞいてみた。

菊陽町台湾アウトバウンド支援事業」というものを開始していた。
今や菊陽町の外国人の約40%が台湾出身者だとAIが教えてくれたが、台湾人が増えたことに対する住民の理解を深めるための支援事業らしい。台湾へ旅行するなら1万円/1人 補助するというものだ。
旅行は来年の3月末までが対象だが、予算が無くなり次第終了と書いてある。予算がいくらなのかは書いてない。ここは突っ込んではイケない部分だ。

その他、「広報きくよう」という月刊誌を見てみたが、住民の理解を得ようとする内容も読み取れる。
傍目から見て、頑張っているようだ。がんばれ、菊陽町!

では合志市はどうか?

菊陽町ほどの熱意は感じることはできなかった(これはあくまで相対的な個人評価である)。
合志市はここ数年は、年間約1,000人ずつ人口が増加している。凄い!
菊陽町は5年間トータルで1,000人ほど増えているが、案外増えてないのだ。
人間が少ないからこそ、人の気持ちに寄り添えるのか?
客観的に私なら、温かみを感じた菊陽町に住みたい。
…だが、それぞれの自治体には財源の変化があり、もしかすると企業が入った菊陽町には財源が増え、合志市は財源に乏しいなどの事情があるかもしれない。金がないと何もヤルことが出来ないのかもしれないが…気持ちだけでも表してほしいところだ。遠隔地の私にはやってるのが見えないだけかも知れない。合志市を悪く言うつもりはない。あくまで相対評価である。

中小企業もソレになぞらえて考えてみると良い。
経営者は、従業員が少ないうちは、家族のように、1人1人の気持ちが手に取るようにわかる。
可能な限り、それに寄り添うことで絆が生まれ、結束力は強くなる。
通常はだんだん社員が増え、会社も成長していく。そして、今度新しく入った新入社員の事を、経営者が把握できなくなる。
このとき重要なのは、組織だ。

組織は階層ごとに権限が必要で、立体的になってなければならない。それが無い組織は平面で組織ではない。
そして、組織力を発揮するためにはそれぞれに適正な権限が必要なのだ。

組織を作るまたは組織を機能させる場合、適正な権限階層を作って、そこに人を配置する。
権限がなく信用だけで組織を作った場合、骨のない魚のようで、ふにゃふにゃなのだ。
骨は神経を伝達する役目があるので、脳に信号は届くはずだ。

さて、骨を作るのは誰か?
これを読んだ人に問いたい。

人は

人は「本当のことを言うと怒る」と聞いていたが、それは本当だった

鬼なのかっ?!

会社のビルが建つ前から、そして建ち始めて、完成して引き渡されるまでのプロセスに、初めて関与した。
建築屋でもないのに、なかなかできる経験ではない。ありがたいことだ。
それが本日、一旦終えたのである。

オーナーが居て、設計が居て、建築がいて、設備、電気、警備、カンバン、…多くの業者さんが1つの建物に取り組む。
個々はそれぞれの持ち場で力を発揮すればよいが、全体の流れを束ねる建築屋は大変だ。

しかしその建築屋も、オーナーの意向を第一に優先し、無理難題を言われても全力で取り組んでいる。これだけ聞くと、オーナーがよろしくないように聞こえるが、オーナー自身も希望は言うがビル建設に関わる方々の不利益になるようなことはゴリ押ししない。
昭和だと、「俺が言ってんだから、その通りにしろ!」と誰かが言いそうなイメージもあるが、さすが現代はそんな殿様は居ないのである。
そして、皆さんが皆さんに譲歩しながらも、今日完成したわけだ。

そう言えば、オーナーの意向を100%取り入れない例外が1つある。
それは設計だ。

設計は、その建築物がリアルな自分の作品となるため、ブサイクな状態に仕上がらないように譲らないことが多い。ここで言うブサイクとは、自分の描いたイメージから外れることである。譲らないと言っても、結果がそうなるように上手に導くだけで、断固として譲らない姿勢ではない。
オーナーの意匠感覚を、自分の意匠感覚に染めていく技は、素晴らしい。
一種の洗脳か、或いは魔法だ。
更に素晴らしいことは、予算内に収めなければならないため、抜くことろは抜き、譲れないところは譲らないことが実践できていることだ。
並々ならぬ努力と、センスが必要だ。
美しい、またはカッコいい建物をデザインするだけが設計ではないという事だ。

これまでの流れを思い返してみると、やはり設計は人一倍大変なのだ。
設計自体を自分たちが行うから、設計の段階で法の範囲に収まっているかの確認が絶えずある。
私も同行したが、消防本部に時間を取っていただき、諸々確認しに行ったこともある。
何をどう設計するにしても、いちいち、法の枠があるのだ。
そして出来上がった図面に対して皆さんが取り組むだけなので、設計が済めば、半分は済んだと言っても良いのではないかと思われるほどだ。
だから設計は素晴らしい技術能力の集積であって、設計が無くては建物は立たない。ビルを建設する業者たちの中で一番費用を請求してよいと思った。
私も次ぎ生まれ変われば、そのときは設計士になりたいとも思う。

ビルの建設は、会社の経営にも似ている。
事業計画があり、予算があり、方針があってみんなが活動し、途中で状態をレビューし、修正し、そしてゴールする。

それぞれ重要な役割だが、この話になぞらえると、やはり設計に該当する事業計画は大変重要だ。
起業したての頃、感覚で経営する時代があったかもしれないが、いつしか会社は計画がないと経営が立ち行かなくなる。順調に大きくなっていればの話である。
事業計画は、ビジョンではない。実現可能な成長を練りこんだ実施計画だ。

この事業計画がどれほど緻密’(ちみつ)なのか、曖昧なのかで、企業の成長度合いは大きく変わると思う。企業の成長とは、売り上げや利益だけの話ではない。人の成長も含んでいる。
会社が順調に成長していれば、人も辞めない。人が辞めない会社は健康だ。

厚生労働省に、令和5年の雇用動向調査結果が出ている。この中(概況全体版のPDF参照)に離職率の計算方法が出ているので、自社の離職率を計算してみると良い。
全国と比較して、自社の離職率はどうなのか?
こういうことを定点観測しておくことも「経営」だ。

先ほど建築設計が素晴らし話をしたが、そういえば現場でこんなことがあった。

私:「これ、どうやって施工するんですか?できるんですか??不可能ですよね??設計はどのような施工方法を考えているんでしょう???」

職人さん:「設計は、そんなこと考えてくれちゃいないよ。きっと、『それを考えて施工するのがプロのお前たちだろ!』って、言うんだよ(笑)」

…設計は、鬼だ。

終わりなき旅

「俺、体育会系だから(笑)」

この言葉を自ら発している方は注意されたい。
この言葉は、このように言っているのと等しい
・私は上下関係に厳しい
・私は根性論者である
・私はエゴイストである

体育会系の方の存在を否定ないが、もう笑うしかない。
これが組織において許容される時代は終わっている。
まさにパワハラと呼ばれることに近い。

今日現在は、パリオリンピックが終わり、まもなくパラリンピックだ。
オリンピアンの方々は、当然ながらアスリートである。
だが、アスリートの方々を体育会系と呼ぶと失礼になる可能性がある。
自ら言っている人にはそう呼んでいいかもしれないが、現代には少数派ではなかろうか…

さて。
経営者は自ら判断しなければならない立場。
上司は、部下に決めてもらって最後のハンコだけ押すだけの、そんなラクな仕事ではない。
組織のTop、部署のTopなど、組織を束ねて行く立場の人は、判断基準は自分自身であることが多い。
ここで重要なのは、判断基準は自分であって当然良いのだが、結果を手にするまでのプロセスが間違っている。

人はそれぞれ個性があり、上司も部下も個性がある。
怒りっぽい上司、怒りっぽい部下、マイペースな上司、マイペースな部下。
自分の判断基準にハマってないと、上司が怒り出すとか、部下が怒り出すとか。
この個性の組み合わせはとても多いが、結果のカギを握っているのは上に立つ者に間違いない。
自分の判断基準をクリアさせるために、部下をどう動かすのかは怒号ではない。サムライ社会はもう通用しないのだ。

ではどうすれば良いのか?
それは、「コーチング」と呼ばれるものだ。

コーチングは社会で認知された指導技術で、多くの方がその存在を知っているが、実践できる人は少ない(私の知る限り、限りなく少ない)。
そう、コーチングを教わったにも関わらず、実践できないのである。
なぜそうなのか?の答えは一旦置いといて、コーチングスキルを身に着ければ、「私は体育会系である」などど、部下に脅しをかけなくて良いのである。

福岡で私が知っている、コーチングのトレーニングができるところは、「トイカケル」という会社だ。あ、そうか!今は福岡とか近いとか遠いとか、あまり関係ない時代だった。。w

ここの江口さん(代表取締役でトレーナー)、とても分かり易くこのスキルを身につけさせてくれるはずだが、多くの人が「コーチングを教わったにも関わらず、実践できない」事実は存在するのだ。
この答えは、是非ともコーチングを受講して江口社長に聞いてみてほしい。

コーチングは、家庭でも学校でも通用するらしい。
わが子に、教え子に、そしてダメな亭主にそれを試してみてはどうか?(;^ω^)
いやな顔をしたり、無視したり、叱ったり怒鳴ったりするたびに、理想が岸から離れていく。
望んだ結果を手にするためには、部下ではなく、努力するのは自分なのである。

そして努力をやめた時、あなたの旅は終わる。

慣れ

今日は、暑さが少しマシやな。。。
気温は34℃
どうなってるの?感覚 (-_-メ)