経験は金で買えない

庭のブルーベーリーの木に、雀がむらがっている。
いま、ブルーベーリーは毎日収穫できるほど、実が成っている。

昨年までは、鳥が来ることなんてなかったのになぁ…
そうだ!こうなのかもしれない。
例年ならば、今頃は梅雨のど真ん中。
雨が降り続き、地面からはミミズが出てきて、小鳥のエサは豊富だが今年はどうだ?
異例の速さの梅雨明けで、毎日晴天続きだ。
ミミズはすぐに干からびて、エサが少ないのか?

しかし、小鳥にブルーベーリーの実を食べられても、それほど腹も立たない。
理由はいくつかある。

まず、今年の庭のブルーベリーは、実が小さい。
昨年の冬剪定のとき、剪定が甘くて花がつきすぎた。花芽を残しすぎたのだ。
結果、とても多くの実が成り、実は小さくなった。
大きくて甘い実がついていたら、防鳥対策をしたと思う。
我ながら小さな人間だと思う。
それから、阿蘇で栽培しているブルーベーリーがよく採れた。
一年分のジャムも作れたので、今のところブルーベリーには困っていない。
満腹なので欲が少ないと言うところだ。私は残念な人間なのだ。
そして最後は、鳥も生きている。
何か食べ物が欲しいときは、可能なら分けてあげたい。
嘘っぽい理由だが本当のことだ。信じてくれ。

長年生きると、生きた分だけの経験をする。
今年また経験したのは、実の大きさと木の剪定だ。
梅干を付けるため、阿蘇で栽培している梅の実も採ってきた。
昨年、大きな剪定をした梅の木は、今年大きな実をつけた。
剪定しなかった木は、多くの実をつけたが小さい。
ブルーベリーも同じ話だ。大きな実は誰もが喜ぶ。
大きな実をつけさせるために、木の大きさに合った剪定が重要だということを経験した。

うちでは栽培してないが、福岡では庭にビワの木を植えている家が多い。
しかし、どの家も、ビワの木はほったらかしだ。小さな実がいっぱい成っている。
ビワは木の剪定もそうだが、大きな実を作るために最も重要なのは花の剪定をすることだ。
このことは、普通の人は知らないと思う。
昔ビワを通販したときに、農家の人に教えてもらった。

ビワは花がまとまってたくさん咲くが、その花1つを残してあとは切る。
こうすることで、本来6~7個固まって実がつく予定の場所に1個の実になる。
当然ながら1個の実は大きくなる。リンゴなどもそうだ。5つの花の1つを残してあとは切る。
近所の人に教えてあげたいが、ビワの木が植えてある家の人と仲良しではない。

逆もある。
温州ミカンは、実の剪定をしてはいけない。
剪定すると1つのミカンは大きくなるが、味は水っぽくて不味い。
おいしいミカンは、たわわに成らせる。当然ながら実は小さいが数は多い。
すると酸っぱくて小さいミカンができる。
この酸っぱいミカンを風通しの良い土蔵のような場所で寝かせると、甘いミカンに変身する。
私は小さいミカン以外買わないことにしている。

たまたま作物の話を書いたが、生きているということは仕事も遊びも同じように何かを経験し、身に付いていく。
長く生きた人は経験が長い
若い上司は年配の部下を馬鹿にしたような態度をとることがあるが、一日の長と言うように、その先輩にはあなたには無い経験がある。また、長幼の序という言葉もある。年長者にはそれなりの敬意をもって接してほしい。

それができる人は、人からも敬われるだろう。

小さな命

家のトイレに入ると、壁に体長1~2㎜ほどの無数の小さな虫が…
ゾワ~ 鳥肌が…

何の虫なのか、見たくても老眼で小さなものが見づらい(汗
携帯で撮影して拡大してみた。
すると…

ハエトリグモの赤ちゃんだ。
我が家では、蜘蛛は殺さない方針だ(私の方針)。
蜘蛛は益虫である。

どうかカミさんに見つかりませんよーにー(祈

石鹸が良いと思います

私は石鹸を自分で作る。マルセイユ石鹸といわれるものだ。
もともとアロマ関係のことで石鹸づくりに出会い、以後自分で石鹸を作って使うようになった。製造のインターバルは、1年~2年に1度。無くなりそうになったら作る感じ。
「作ることが好きな人」に分類されると思われる私は、使うことよりも作るほうが楽しい。

アロマ関係でと書いたが、この流れを説明するには多くの文章が必要になる。よってアロマに行き着く位までの過程は割愛させてもらうが、アロマから連想すれば、石鹸に香りを付けたいと思うのは自然なことだ。

石鹸を作る際に、アロマオイルを入れる。石鹸を使う場面で、理想の香りを楽しみたい。
しかし、そう上手く行かないのである。

石鹸は油が主成分だ。この油がどのようにして石鹸になるのか?
それには「苛性ソーダ」が必要だ。
簡単に作り方を書くと、苛性ソーダに精製水を加える(すると、すごい発熱と異臭で、目がチカチカする。とても危険なので、換気をよくしてから作業すること)。苛性ソーダが溶けた熱湯(水酸化ナトリウム水溶液(100℃に近い))と、油(オリーブオイルやパームオイルなどの混合油)と混ぜ合わせて撹拌し、アロマオイルもれて型に入れて数か月放置する。私は切り分けた後、1年近く寝かす。

ザックリ書くとこれだけだが(実際にはもう少し難しい)、油が苛性ソーダによって石鹸になるワケだから、当然ながらアロマオイル(油)も鹸化するのだ。あの香りはどこへ消えたやら…
それだけではない。
そもそもアロマイルは揮発するから匂いががする。
製造直後から長時間寝かす理由は、石鹸になるための鹸化プロセスでもあり、余分な水分を蒸発させるためでもある。このとき、アロマの香りも消えてなくなる。
アロマオイルは入れても意味がないので、入れないほうが良い。
素人ならなおさら入れないほうが良い。
理由は、アロマオイルは肌から体内に吸収されるため、知識がない人が肌や顔に塗ったり触れたりすると、毒性によって体調子悪くする恐れがある。たとえ毒性がない種類のアロマオイルでも、肌や顔に塗る際の安全な希釈度の目安もあるので、知識がない人はやめといてください。

さて。
言いたかったことは、石鹸の作り方ではない。
ボディーソープを使っていた頃の話である。
あるとき、風呂場で異臭を感じた。
クンクン、クンクンと、その臭いを探していくと、行き着いた先は体を洗うナイロンのタオル。クサっ!
いつも体を洗った後、このタオルもそれなりには洗って、浴場内に干して出るのだが、『洗い方が足りないのか?』と思った。
そして、タオルを入念に洗っていつものように浴場内に干してみたが、翌日は少しクサい。
乾燥が足りないのかと思い、外に干してみたが、やっぱり少しクサい。
最後は殺菌してみた。
すると、3日ほどは匂わなかったが、そのあとはまたクサい。
ナイロンタオルに、何か汚れ(人間の皮脂的な)が残っていて、これに雑菌が繁殖して臭っていると思われる。

待てよ?
昔石鹸を使っていた頃は、こんなこと無かったなぁ。。。

石鹸に変えてみた。
すると、何も臭わなくなった。

なぜ石鹸は皮脂がタオルに残ってないのか?
それとも、タオルに吸着させるような性質ではないのか?
よくわからないが、臭わないということは雑菌も繁殖してなくてクリーンだ。
以後、私は家では石鹸しか使わない。
※ちなみに、キッチンの布巾や台拭きを洗う時も、固形せっけんで洗って干している

石鹸の利用者を調べてみると、日本では年齢が高くなるにつれ利用率は高い。
肌に優しいのは使ってみればわかる。
自分で作るのはヤリすぎかもしれないが、作ることが好きな人にはオススメします。
実際に作るときには、専門的なデータ(油の鹸化価など)が必要になるため、やってみたい人がいるなら相談してください。油の種類ごとの分量と出来上がりの鹸化率を入力すれば、精製水と苛性ソーダの分量が算出できるエクセルを自作したので、差し上げます。

あ、このサイトで入力できるように作ろうかな?
ITとは全く関係ありませんが(笑

仕方ないこと

ご近所さんに、ノラ猫に餌を与える人がいる。
毎朝、その家のお勝手口には数匹のノラ猫が集まって、ニャーニャー鳴いて食事の要求をしている。時にはカラスが来て、エサ入れに残った食べ物を狙っている。

私の家は、以前ノラ猫の糞害に悩まされてきた。
そのうち、ネコがどのような場所に糞をするのかわかってきたので、糞対策も上達した。
最初の頃はとても腹が立って怒りが収まらず、皆殺しじゃぁ~!!と思ったりしたこともあるが、もちろんそんなことはしない。そして今では猫の糞害は全くない。

先日お隣さんが、庭の花壇の土を土嚢袋に詰めていた。積み上げた土嚢袋の数は30ほどある。
「どうされたんですか?」と声をかけた。
すると、ここ数年ネコの糞害に悩まされ続け、土にネコが糞をするので、花壇を潰すらしい。土の上に防獣ネットを敷いてみたが、ネットの上に糞をされて、もうあきらめたと言う。そして言われたのが、「ホラ、あそこの家の人がノラ猫に餌をやっているでしょう?だからネコはこのあたりに住み着いて、ネコを減らす事は無理だし、役所にも行って相談したが、自衛してくださいと言われて何もしてくれないので…」とため息をついた。

私も随分と闘っていたが、遂にはネコはウチで糞をしなくなったことを言ったが、『そうか、隣に被害が移っただけだったのか』と思って、バツが悪かった。

さて。
このお隣さん、土嚢袋に詰めた土をどうしたかと言うと、家の横の小さな空き地に袋ごと積んだ(捨てた)。まあ、土だし…福岡と言えども大都市に比べれば田舎だし、昔の人のこの感覚はそれほど悪いとは思えないのだが、袋ごと捨てるのはマズくない?しかも実はこんな事情がある。

どこもそうだと思うが、、自治会と言うものがある。
私も年間7千円ほど自治会費を納めていて、地域の安全、防犯、衛生活動などに使われている。
また、自治会は、定期的にその区域の清掃や防犯見回りなど行っている。私も当番になれば、拍子木と懐中電灯を持って、夜回りをしている。
隣人が捨てた数十袋の土嚢は、自治会が定期的に清掃活動を行っている小さな空き地だ。
そして問題なのは、隣人は自治会に参加してない。
金も払わないし掃除もしないわけだ。
自治会費を払っている人が地域の人のみんなのために清掃している場所に、自治会費も払わず掃除もしない人が不要な物を捨てる。
現在、土嚢袋は風雨にさらされ、学校帰りの子供が傘の先でつつく。ボロボロに破けて土嚢袋の破片が散乱しているが、捨てた本人は掃除する様子はない。

人間は自分勝手だ。
ノラ猫に餌をやるのも身勝手だし、土と言えどもゴミを公共の場に捨てるのも身勝手だ。
どこかのお爺さんがノラ猫に餌を与えるので、その近所のお婆さんが注意したところ、お爺さんは持っていた杖でお婆さんを殴り殺したという事件があったのを思い出したが、小さな負の連鎖がアチコチで起きている。
ネコに限らず、生き物は地球上に住む権利がある。
それを愛おしいと思うのも理解できるので、ノラ猫を餌付けするのなら、TNR(去勢後に猫の耳カット)するとか、トイレも設置するとか、総合的に面倒を見てあげないと、誰かに迷惑がかかるのだ。

人間だって生き物。その本質は変わらない。
どんなに金持ちでも貧乏でも、まずは自分優先なのだ。
色々、仕方がないことである。


昔、健康食品ネズミ講のエラい人が、私に言った。
「人は自分が幸せでないと、人のことを幸せになってほしいと思わない」
「自分が溢れるほど幸せになれば、大切な人にも幸せになって欲しいと思う」
「だから、まずあなたが溢れるほど儲けてください」
「そうすれば、あなたの大切な人にも儲かってほしいと思うはずだ」

これを言われた20代だった私は、とても悲しくなったことを覚えている。
そして返した言葉は、「私は金儲けするために生きているわけではない」。
詭弁だ(笑

経験からだが、年を取るにつれ、他人の優先順位が上がってくる。
そうではない人も当然いるが、自分のそういう部分は嫌いではない。
ナイショだが、人に言えないような黒い部分も持っているが、自分のそういう部分も嫌いではない(笑

責任の所在

日経の電子版を見ていて、ふと思うことが。
記事の題材は、基本的に良くないことが多い。
懸念すべきこと、悪かったこと。
逮捕、爆発、不正、摘発、苦境、反発…
最悪なことに備えるための提言であって、その悪事を真似しろと言う話ではない。
そして、「人の不幸は蜜の味」というように、マスコミは良い事よりも悪いことを報じる性質を持っている。

ドラマや映画を見ていて、こう思った。
悪いことが起きると火の粉を払う事がある。
それにとどまらず、事実を捏造して他人に罪をかぶせる。
見ている側は「許せない」という気持ちが湧いてくる。

実は、会社の中でも捏造事件や隠ぺい事件は起きている。
上司や経営陣がそれを知ったとき、どう思い、何をすべきなのか?
これには正解があるとは思えないが、いくつかのパターンを書いてみよう。

  1. 気にしない
    気にしない理由は、一つではない。
    a) 人の噂は尾ひれがつくため、部下のそのような話に右往左往しないと決めている
    b) 社内で起きる捏造や隠ぺいなど起きると、事前に刷り込み済み
  2. 事実を調べて適切な処分を行う
    これが一般的かもしれない。

実はこんな話を知っている。
ある会社には、昔から横領文化がある(まさかの本当の話)。
下請け業者は仕事欲しさから、発注担当者の言いなりだ。
例えば、下請け業者に仕事を発注し、本来より多く請求させる。
そして本来の請求額との差額を、個人の口座に振り込ませる。
このような事を色んな手口で社員が行っているが、この中の古株の社員が出世して、ついには社長に上り詰めた。
社長となり、実績を上げていかねばならないが、この横領文化を否定できない。
この社長は、1のbに当てはまる。
近年減っていると思われるが、決してレアな例え話ではない。

さて、2に該当する多くの人向けの話に突入する。
まず、経営者が直ちに反省しなければならない。
なぜならば、その会社には、報告しづらい雰囲気や成果主義のプレッシャーなど、組織文化の問題がある可能性がある。
組織文化をけん引するのは、経営者の仕事だ。
実際にそんな問題のある組織文化になっているのなら、真摯に反省し、どうすればその悪い文化が払拭できるのかを考え、実践すべきだ。実行犯は被害者でもある。

犯人に課す処罰は、時と場合によって違ってくるから、ここで断言できない。
間違いなく言えることは、経営者が猛省することだ。

売上が悪くても、社内で不穏な事件が起きても、責任は経営者にある。
この重圧に耐え乗り越えてこそ、経営者だ。
しかし残念ながら、このような立派な経営者に出会ったことは、あまりない。
従業員、その家族の幸せを預かっているという認識がある素晴らしい経営者はどこにいるのか?

世の中の悪い出来事は、予想できないこともある。
人に起因するものについては、それが発生した背景を考え、備えてほしい。
誰が考えるのか?
市長でも国会議員でも警察でも隣人でも、それが自分の責任範囲にあると思う人がである。

「自分の責任ではない」と責任転嫁するのは、ドラマの中だけで十分だ。

子は宝

家の前の側溝に、タヌキらしい動物がいた。
調べると、アナグマだった。

家庭菜園、果樹など、私の家には狙われる食べ物が多い。
昨年、小玉スイカが1個丸ごと消えた事があったが、あれはアナグマの仕業だったのか…
何か作物被害対策をしなければ…と思っていたら、側溝からひょっこり顔を出したのは子供のアナグマ。

逆に、何か食べ物をあげたい気持ちに。

狙い

SONYグループ、冬の賞与廃止「賞与の給与化へ」
日経にこんな見出しの記事が出ていた。

企業は報酬制度の改革に迫られている。
人手不足の昨今、良い人材の確保や流出を止めるためである。

そもそも、この賞与の給与化と言う話は、ずいぶん昔にされてなければならない。賢い経営者なら、既に実施済のはずなのだ。
2003年以前は、社会保険料は賞与からほどんど徴収されてなかった(1%)。標準報酬月額から計算されて、毎月の給与から引かれるのである。
しかし2003年からは賞与も含んだ収入から計算されるようになったため、企業も従業員も税額(社会保険料)が増えた形になった。

ここで良く考えたいことは、賞与は何のメリットがあったのか?

悪い解釈かもしれないと言うことを最初に言っておくが、間違いではない。
まず、企業は従業員に給与を支払う。給与合計は年間360万円だったとして、この360万円に社会保険料が適用される。都道府県によって違うが約28%(97万2千円)の社会保険料となる。このうち個人が支払う金額は半分の48万6千円、企業側も同額支払う。
ここに賞与が50万円×2回あったとする。2003年以前は、この100万円に対し1%の社会保険料(1万円)に対し、2003年以降は28%(28万円)になっている。

昔の企業は、月額報酬を安く設定したい。なぜなら、社会保険料が安く済むからだ。そして年収で調整(賞与)すれば、社会的な批判も受けないし、余計な社会保険料も払わなくて済むし、個人も満足する。
今はどうか?
もう、賞与のメリットは無い。昔から経営してきた経営者は、このことを知っている。
しかし、報酬制度の改正をしないのはなぜか?
それは、賞与は絶対に支払わなければならない報酬ではないからだ。
雇用契約書や就業規則などに明確に書かれている場合、書かれている内容に従って企業側は支払い義務がある。ここに明確に書かれてない場合、または曖昧に解釈できるような場合、支払い義務が生じないことがある。
企業は、月額報酬をUPすると、経営が傾いたときにダメージが大きい。できる事なら、儲かったときだけ賞与を支払いたいと考えるはずだ。儲かって法人税を払うくらいなら、従業員に還元したほうが良いと思うからだ。こう思うのは仕方ない。世の中突然何が起こるかわからない。もしも会社が倒産したとき、中小企業の経営者は、従業員の比ではないほどの損害を被ることになるから、できるだけ安全に、火の粉を被らないように備えておきたいと言う気持ちは良くわかる。が、この弱腰は残念だ。常に邁進する意欲が消えて、自分だけ核シェルターを準備するなら、会社経営など辞めてくれ。従業員が可哀想だ。
社会保険料や税金のことなど、企業側の立場も含めて真剣に考えている従業員が日本には少ないため、経営者の思うツボで働かされているのではなかろうか?

ついつい毒舌になるのは私の悪い癖だ(笑
さて、企業が確保すべき良い人材の、「良い人材」とは何だろう?

2・6・2の法則はご存じか?
乱暴に言うと、できる2割、普通の6割、できない2割ということだ。
仮に日本全体でこの法則を当てはめてみて、できる2割の集団だけで企業を作っても、この中で2・6・2の法則が出来てしまうので、どこを切り取っても同じ話で逃げられない。

中小企業においてもこの法則は存在し、できる2割に頼っている。
そしてこのできる2割の人のことを「良い人」という。
学歴は高くても、使えない人が多い。学歴が低くても、使える人は多い。使える人とは、先ほどの「良い人」のことだ。

この良い人を試験や1度の面接で見抜くことは難しい。
「私は人を見る目がある」という自慢のような発言をする人でも、なかなか困難なことだと思う。しかし、幾度か面接をするとか少し時間を共有すれば、だいたいわかる。
逆に、どうしようもないアホは面接ですぐにわかるので適用除外しておきたい。
自分が今、どう見られているのかわかってない服装だとか態度だとか、話す内容、書いている文字。色んなことから判断できることが多い。

では2・6・2の6はどうか?
どうでもよい。
企業にはできる2割と普通の6割は絶対に必要なのだ。真面目にでコツコツ頑張ってくれ。
できない2割は、別の会社か別の職種で普通やできるに変わるかもしれない。

話を戻そう。
SONYグループの冬の賞与廃止「賞与の給与化へ」は、正直言ってプレスリリースを出したことは賢いと思う(出してないかも)。まるで先陣を切ったかのようで、注目される。
SONYは新しいことを次々にやってくれる会社かもしれないと、思う人も出てくるかもしれない。

この記事を見た人の中で、「何をいまさら…」と、もうすでにそんなことは実施済みの会社もあるかもしれないが、話題を生んでないのなら、残念ながら効果が薄い。

仮にしょうもない話でも、バズれば勝者となる。
何が伝わったのか?これが重要だ。
結果は運がいいわけではない。ちゃんと狙いが存在する。

見返り美人

こんなサイトを見た。
介護系の会社で、特別養護老人ホームを経営している。
比較的まだ若手の創業者社長だが、サイトの作りに疑問が…

YouTubeなどSNSと連携し、会社の宣伝やイメージアップに使うことは今日の経営において常套手段だ。
この会社は、企業のトップページに自社のYouTubeチャンネルのリンクを張り付けてある。
ここまではそんなに悪くない。悪いのは内容だ。

内容が悪いと書いたが、戦略が見えてこないと言うべきか。逆の結果を招き寄せている。
その企業のホームページを見る人は色んな立場の人がいるが、重要なのはその顧客になる可能性がある人だ。そこに視点を置いて作られることが望ましいが、そこが無視されているとしか思えない。いわゆる自己満足だ。
特別養護老人ホームへ入居しようとしている人は、どのような人か?
その施設を探している人(家族など)はどのような収入のどの年代の人か?
この人たちがサイト訪問者のメインターゲットだ。

動画の内容は、介護経営者への経営ポイントだったり、意味が分からないがなぜかシステムの話だったり。
こういうことはリンクなど張らずに別のところでやるほうが効果がある。
動画の内容は決して悪くないが、置く場所が悪い。
せっかく賢い頭脳を持っている社長は、それを支える人間に恵まれていない。残念だ。

中小企業の経営者たちは、何か勘違いしていないか?
自己満足が人の目にはよく映るはずがない。
こんな話がある。

知り合いの社長が当時まだ50歳になってなかったと思う。
そのときに、アゴに無精ひげのようなヒゲを生やしていた。
カッコイイと思っているのか、足りない自分を補おうとしているのかのどちらかだ。
出張して取引先の社長から、
「そのヒゲは何だ?(怒)」「それが金を生むのか?」「誰が得をするんだ?」
出張から帰ってきたヒゲ社長が、ご自慢のヒゲを剃っていたので理由を聞いたところ、ヨソの社長に叱られて目が覚めたと言っていた。

「確かに誰も得をしない」

偉いのは、それをすぐに取り込んだことだ。
このときから、この人を尊敬するようになった。
経営者は、それが人の目にどう映るのか考えていなければならない。

嘘は良くないが、伝え方次第で真実が伝わらない可能性がある。
Webサイトは、人に伝えるための手段だ。

自社のホームページが見た人にどのような印象を与えているのか、今一度見直してほしい。
私が言うと説得力ゼロですケド(笑

続・愛と誠

そして今朝のこと。
何かピチャピチャ音がする…

うっすら目を開けると、犬は股間を舐めている。
よく見る光景だ。

んーーーっ!と背伸びをして起きようとすると、防御する間もなくベロちゅうされた
( ̄▽ ̄;)!!