陰陽なのか?

いいことをすると、気分がいい。

待合室でふと横を見ると、診察券が落ちていた。
通りかかった看護師さんに「誰か落としていますよ」と声をかけると、その方が診察券を持って去った。
少しして、80歳くらいの男性が診察室から出てきて私の横に座った。
「診察券、落としていませんか?」と尋ねると、
「いや、俺は財布に入れとるから大丈夫や!」と答え、目の前で財布を開いて診察券を見せてくれた。
その財布には一万円札がワンサカ入っていて、「危ないなぁ」と思ったが、それは関係ない話だ。

しばらくして、看護師さんが「先程はありがとうございました」と言いに来た。
どうやら落とし主が見つかったようだ。

この出来事をきっかけに、ふと気づいたことがある。
誰かが良いことをすると、同時に悪いことが起きた人がいる。
必ずしもそうとは限らないが、そういうことは多い。

財布を落とした人がいたから、届けて感謝された。
カバンをひったくられた人がいたから、追いかけて捕まえた。
など。

昔、私が勤めていた会社で、ウェブサイトに占いを掲載しようという話が出たことがある。
企業サイトなので、まったくのウソはダメ。占い師に払うお金もない。
という流れから、自分で四柱推命を勉強しようと思い、本を買った。
その本の最初の方に「陰陽五行」が出てきた。

このとき、世の中のことは常に反対のものがあり、それで釣り合っていることを知った。
陰陽説である。昼と夜、上と下、勝者と敗者。
人が喜べば、悲しむ人がいる。これは少し無理やりだが、良いことをした人には、悪いことが起きた人がセットなのは理解しやすい。
経済も、儲かる人がいるから、損する人がいる。
地球レベルで考えると、質量保存の法則に近い。

そんなことを考えていると、診察室からさっきの年配の男性が再び現れ、私の隣に座った。
そして話しかけてきた。

「また、入院や…」
「今年の春に心臓の手術をして入院したんやけど、今度は肺に穴が空いてて、空気が漏れてるらしい…」
「このまま入院しなさいと言われたが、なんの用意もしてきてないし…妻も今朝、大阪の息子のところへ行ったし」
「ここは病院食がマズイし」

恐らく、先ほど診察券のことを尋ねたことで、私を知り合いと思ったのだろう。
おじいさんの愚痴に同意しながらなだめていたが、しばらくしてどこかへ行ってしまった。

それにしても、大きな病院は待たされる。いや、小さくても待たされるか…。
私はかかりつけ医からの紹介状を持ってきたので、朝一番に来なければならなかった。
その割に、呼ばれるまでが長い。検査は終わったが、診察室に呼ばれるのはおそらく最後。
座ったときは10人くらい待っていたが、あと2人になったので、もうすぐだ。
そういえば、昔は病院で携帯はタブーだったが、今は壁に無料Wi-Fiのお知らせが貼ってある。
2時間無料だって?!もう解禁なのか?

あれこれ考えていると、ようやく呼ばれて担当医から長い説明が。
待つのも長いが、説明も長い。
でも、長くてもありがたい。

そして、手術をすることになった。

10年以上前、私は大腸がんになった。
健康診断でたまたま見つかったのだが、そのとき思ったのが、
「私はもうこの世の中に用がないのかもしれない」ということ。
結婚して子供が成長し独立し、人間の為すべき責任は一旦済んだ気がした。
この先、生命を繋いでいくことはおそらくないので、生き物としてそれほど意味がない。
だから体は勝手に終末へと向かっていくのかなぁ…。

だが、内視鏡手術で簡単に治った。
そして、「私はまだこの世で何か必要とされているのかもしれない」と思った。

今回はがんではないが、手術が必要な病気になり、前と同じようなことを思った。
生きていても、何か人のためになることをしている実感はないし、CO₂を排出し続けるだけの、用が無い生き物かもしれない。

これは、無事に退院できたときにまた何か、思うことがあるはずだ。

何の兆候もなく、あるとき突然病気になる。
これは、お金を払おうとして財布を出そうとしたときに、落としたことに気づくような話だ。

悪いことが起きると、良いことがセットになっている。
私の命がここでつながったとき、良いことは私に起きたことになるのか?
私の命がここで絶たれたとき、良いことが起きるのは誰だ?

まさか、こたつでせんべいを食べながらテレビを見ているカミさんではあるまいな(怒)

十戒

世の中に人間関係で悩む人が多いが、原因は人間の口の軽さだと思う。
人の話をするときに多少脚色することが、諸悪の根源だ。
関西人は最後に、「知らんけど」と付け足して罪を振るい落とすw

健康自炊

通勤時間帯、都心と逆方向の電車はガラガラ。
座っている人たちは、全員スマホを凝視。まるで「情報摂取中」の表示が出ているかのようだ。
昔は音楽を聴く人、寝てる人、本を読む人がいた。今はみんな、スマホという名の情報の自動給餌機に夢中。

よく考えてみた。
乗車前よりも乗車後のほうが、脳内の情報量が増えている。
情報の定義は曖昧にしておくが、スマホから得た何かが脳に侵入しているのは確かだ。
彗星の軌道は変わらないし、地球の質量も変わらない。変わるのは人間の脳の中身。
つまり、人類は進化ではなく、情報で肥満している

AIに聞いてみたら、情報過多は健康に悪影響を与えるらしい。
これは大変だ。スマホは便利だが、健康を蝕む毒にもなる。
まるで「合法ドラッグ」。しかも中毒者は全員、ポケットにそれを忍ばせている。

思い返せば5年前の10月、私は会社をサボって海へ行った。
毎日の嫌なことが蓄積して疲弊していた。
平日の海岸で石を積み、スマホで写真を撮った。
心は疲れていたが、スマホは手放せなかった。
この時点で、すでに「情報依存症」だったのかもしれない。
石を積む行為は瞑想だったが、スマホで撮った瞬間にSNS用の供物になった。

最近私は一つの自炊を始めた。
まず、スマホのモバイル通信を常時OFFにした。
WiFi環境以外ではネットに繋がらない。
副産物として通信料が安くなる。これは「節約という名の強制断食」だ。
お金持ちにはできないかもしれない。彼らは情報もカロリーも無制限。

電車内や待ち時間には、スマホに入れた音楽を聴く。
目を閉じて、音に身を委ねる。
音楽は古代から治療に使われてきた。
情報ではなく、感情に働きかける。
クラシックでもパンクでも、脳に優しい「音の栄養」だ。
しかも副作用なし。唯一の注意点は、隣の人がヘッドバンギングしてると怖いことくらい。

そして、情報を得る時間を決めた。
私は机に座っているときだけ、情報を摂取する。
スマホではなくPCで。
これは「情報の定時制高校」みたいなものだ。
スマホは24時間営業のコンビニ。便利だが、栄養は偏る。

仕事前にニュースを読み、仕事中に調べ物をし、休憩後に少しネットをザッピングする。
このルールで、情報の暴飲暴食を少しだけ制限できている気がする。
…気のせいかもしれないが。

実は最近、体調が崩れている。
原因不明の不調が同時多発的に発生し、手術も決まった。
情報過多か、加齢か、不健康な生活か。
どれが原因かはわからないが、健康なほうがいいに決まっている。
少なくとも、スマホの通知音で心臓が跳ねる生活は卒業したい。

だから、みんな何か「自炊」してほしい。
情報も、食事も、生活も。
外食ばかりでは、心も体も消化不良になるのだ。
そして、スマホはたまに「絶食」させよう。
それが、現代人の新しい健康法――情報断食である。

まぼろし

ドキッ!
向かいに座っていた女性に私の魂が反応した。

髪は全て深めの帽子にスッポリ。顔は見えない。
同じ駅で降りたので、後ろからその人のうなじが見えたw
すると白いものが。

おや? ん? 全部真っ白なのか??
……。

遠ざかる女性は、小さくなっていった。

動物哀歌

クマ被害が過去最高ペースだ。

クマはただ生きているだけで、世界征服をもくろんでいるわけではない。
人のいる地域に来てしまい、動くやつがいるから敵かと思い攻撃しただけのこと。ヒグマの場合は食うつもりだったかもしれないが、それは自然の摂理だ。
野生の動物は生きていくために必死だ。
人間の作物を食い荒らすとか、人間に襲いかかるとか、それ自体は自然のことだから防御するしかない。

さて、どう防御するのか?

一旦視点を変えてみる。
最近、山間の農村に行くと、田や畑に電線が張ってある。イノシシ除けだ。
イノシシは昔から住んでいる野生動物だが、なぜ近年、人里に来るようになったのか?
理由はいくつもあるが、どれも納得できる。

1. 耕作放棄地の増加と人間活動の衰退

  • 高齢化や過疎化により、農地が放棄され、藪や竹林が増加。
  • これらの場所はイノシシにとって隠れやすく、餌も豊富なため、人里との境界が曖昧になっている。

2. 森林環境の変化

  • 昔は焼き畑農業などで山が定期的に手入れされていたが、現在は放置されがち。
  • その結果、竹や雑草が繁茂し、イノシシの餌場として適した環境が山から人里近くまで広がっている。

3. 温暖化による活動期間の延長

  • 冬でも活動する個体が増え、繁殖力も高いため、個体数が増加傾向にある。
  • 気候変動により生息域が拡大し、都市部にも出没するようになった。

4. 人間による餌付けやゴミ管理の不備

  • 生ゴミや農作物の残りなどがイノシシを引き寄せる。
  • 一部地域では餌付けが習慣化し、イノシシが「人里=餌場」と学習してしまう。

5. 狩猟者の減少と保護政策の影響

  • 狩猟人口の減少により、イノシシの個体数管理が難しくなっている。
  • 一時期の保護政策により、絶滅寸前だったイノシシが増加に転じた。

また、昔は山と人里との間に緩衝地帯があり、野生動物は人里に近づきにくい環境があった。この緩衝地帯とは、次のようなものである。

1. 里山(さとやま)

  • 人が管理する雑木林や竹林、薪や炭を取るための森林。
  • 定期的に手入れされていたため、藪が少なく、イノシシが隠れにくい。
  • 人の気配があるため、野生動物が近づきにくい。

2. 畑や果樹園

  • 山と住宅地の間に位置し、農作業が行われていた。
  • 人の活動が多く、イノシシにとってはリスクが高い場所。

3. 水路・用水路・堤防

  • 地形的な障壁となり、イノシシの移動を制限。
  • 人工的な構造物が野生動物の侵入を防ぐ役割を果たす。

4. 集落周辺の空き地や草地

  • 定期的に草刈りされていたため、視界が開けていてイノシシが警戒する。
  • 人の生活圏との境界を明確にしていた。

これらのことを考えると、人の生活圏や生活習慣の変化によって、山と人の生活圏の境界が曖昧になってきたことは十分納得いく話だ。

クマを含め、野生動物が人の生活圏内に近づかないようにするためには、昔の生活環境を取り戻すことが良いかもしれないが、そんなことはかなり難しい。
田舎暮らしをしたい人が増えていると言っても、所詮は雀の涙。この広い日本中を変えてしまうほどには手が届かない。

調べてみたら、こんなのがあった。
日本学術会議という組織が行った公開シンポジウム
「増大する野生動物と人間の軋轢:これからの鳥獣管理と人間社会を考える」

残念なことに、会議の報告については出てないようだ。

日本の暮らしの中で、何か問題があれば解決に向けて話し合う人たちが出てくる。
素晴らしいことだ。
本来は、政治家がこうあってほしい。

身近なところで考えると、住んでいる地域や学校や会社、問題だらけだ。
この問題に対し、不満を抱えているだけで良いのだろうか?
何かできることはないか?
小さくとも集まれば大きな力になる。

そこを良くするのは、あなた自身だ。
もちろん私自身でもある(泣

急いで

昼間の地下鉄駅は空いていて、誰もいなかった。
急いで駆け下りたホームへの階段。
最後の段を降りたとき、力が緩んで放屁。
やべ(-_-;) 真後ろに人が——

急いで別の車両へ(-_-;)

泥棒組織

まだ私が若者だったころ、父がぽつりとこう言った。

「泥棒しか居ない村に住んだら、その人も泥棒になる」

そのとき、私と父の間で何が話されていたのかは覚えていない。
この言葉の意味もよくわからず、「自分もそうなるのか?」と不安になった記憶だけが残っている。
最近、この言葉を思い出すことが何度かあった。

前にも書いたかもしれないが、「一般的に会社というものは、社長が一番頭が良い」と言われることがある。
その理由はこうだ。

「社長より頭の良い人は、会社を辞めるから」

つまり、社長が一番賢いというのは、あくまで“残った人の中で”という話だ。
社長が決定したことに社員は従うが、それが社会で通用するかどうかは別問題である。

たとえば——
「ウチの会社は残業代を払わない代わりに、ニコニコ手当という聞いたこともない手当が毎月均等に100万円出ます」と言われても、それが残業代の代替であるならば、労働基準法に違反する。
固定残業代制度にも適切な明示と計算根拠が必要であり、単に「払わない」では済まされない。

泥棒の話も、これに近い解釈ができる。
周囲がみんな泥棒だったら、盗む行為が悪いことではなくなる。
恐ろしい話だが、現実にそういうことは起きている。

ある企業では、求人票に「勤務時間:9時〜17時、休憩1時間」と書いてある。
つまり、実労働時間は7時間のはずだ。
ところが、実際に働いている人に聞くと、8時前に出社することが求められ、17時になっても帰れない。
朝早くから家を出て、300kmほど離れた顧客のもとへ車で向かい、商談し、夜遅くに帰ってくる。
もちろん残業代など出ない。
この会社で働いている人は、それが“当たり前”になっているので、大きな不満はないようだ。
だが、新しく入社した人は驚いて、すぐに辞めてしまう。

さて、泥棒しかいない村に、ある日、正直者が引っ越してきた。
この人に残された選択肢は二つしかない。
1. 村を出ていく
2. 泥棒になる

まさか村人全員が改心して、盗みをやめる活動を始めるとは思えない。
正直者は、結局村を出るか、泥棒になるしかないのだ。

新しい組織の中で、常識的におかしなことが行われている場面に遭遇したとき、どうすればよいか?
私は、一秒でも早くそこを抜け出すことを勧めたい。
恐らくそれは、一人の力ではどうしようもないことだからだ。

少し話がそれるが、私が昔勤めた会社に入ったとき、妻が社長夫婦に挨拶する際にこう言った。

「この人は、曲がったことが嫌いな性格ですから…」

言われてみれば確かにそうだ。
上手い表現だと思ったが、実際の意図はこうだった。

人は、人が見ていなければ何をするかわからない生き物だ。
立ちションする酔っ払いも、悪いことだと知っているから人前では堂々としない。
それは自身のジュニアの貧弱さを隠すためではない。
このような人間が、社会の大半を占めている。

私は曲がったことが嫌いな性格なので、たとえば信号待ちを避けるためにコンビニの駐車場を横切るような行為が嫌いだ。
もし会社内で何か曲がったことが発生したら、それに対して意見してしまう。
これが、組織の中で暗黙のうちに認められていた場合、私は組織で孤立してしまう。
このときに、私を助ける“前振り”として、妻はそれを先に伝えていたのだ。
恐れ入る。
さすがカミ(神)さんだ。

正義を振りかざしても、正面突破できることは少ないのが現実だ。
なんて悲しい社会だろう。
それでも、あなたならどうする?
泥棒の村に入ってしまったとき、あなたは——。

┐(-_-)┌

米政府閉鎖。
トランプさんを見ていると、アメリカ人の民度が残念に思えてくる。

おそい

スピード感のある会社は、会社の成長スピードを表す。
それがない会社は、それなりだ。((+_+))