動物哀歌

クマ被害が過去最高ペースだ。

クマはただ生きているだけで、世界征服をもくろんでいるわけではない。
人のいる地域に来てしまい、動くやつがいるから敵かと思い攻撃しただけのこと。ヒグマの場合は食うつもりだったかもしれないが、それは自然の摂理だ。
野生の動物は生きていくために必死だ。
人間の作物を食い荒らすとか、人間に襲いかかるとか、それ自体は自然のことだから防御するしかない。

さて、どう防御するのか?

一旦視点を変えてみる。
最近、山間の農村に行くと、田や畑に電線が張ってある。イノシシ除けだ。
イノシシは昔から住んでいる野生動物だが、なぜ近年、人里に来るようになったのか?
理由はいくつもあるが、どれも納得できる。

1. 耕作放棄地の増加と人間活動の衰退

  • 高齢化や過疎化により、農地が放棄され、藪や竹林が増加。
  • これらの場所はイノシシにとって隠れやすく、餌も豊富なため、人里との境界が曖昧になっている。

2. 森林環境の変化

  • 昔は焼き畑農業などで山が定期的に手入れされていたが、現在は放置されがち。
  • その結果、竹や雑草が繁茂し、イノシシの餌場として適した環境が山から人里近くまで広がっている。

3. 温暖化による活動期間の延長

  • 冬でも活動する個体が増え、繁殖力も高いため、個体数が増加傾向にある。
  • 気候変動により生息域が拡大し、都市部にも出没するようになった。

4. 人間による餌付けやゴミ管理の不備

  • 生ゴミや農作物の残りなどがイノシシを引き寄せる。
  • 一部地域では餌付けが習慣化し、イノシシが「人里=餌場」と学習してしまう。

5. 狩猟者の減少と保護政策の影響

  • 狩猟人口の減少により、イノシシの個体数管理が難しくなっている。
  • 一時期の保護政策により、絶滅寸前だったイノシシが増加に転じた。

また、昔は山と人里との間に緩衝地帯があり、野生動物は人里に近づきにくい環境があった。この緩衝地帯とは、次のようなものである。

1. 里山(さとやま)

  • 人が管理する雑木林や竹林、薪や炭を取るための森林。
  • 定期的に手入れされていたため、藪が少なく、イノシシが隠れにくい。
  • 人の気配があるため、野生動物が近づきにくい。

2. 畑や果樹園

  • 山と住宅地の間に位置し、農作業が行われていた。
  • 人の活動が多く、イノシシにとってはリスクが高い場所。

3. 水路・用水路・堤防

  • 地形的な障壁となり、イノシシの移動を制限。
  • 人工的な構造物が野生動物の侵入を防ぐ役割を果たす。

4. 集落周辺の空き地や草地

  • 定期的に草刈りされていたため、視界が開けていてイノシシが警戒する。
  • 人の生活圏との境界を明確にしていた。

これらのことを考えると、人の生活圏や生活習慣の変化によって、山と人の生活圏の境界が曖昧になってきたことは十分納得いく話だ。

クマを含め、野生動物が人の生活圏内に近づかないようにするためには、昔の生活環境を取り戻すことが良いかもしれないが、そんなことはかなり難しい。
田舎暮らしをしたい人が増えていると言っても、所詮は雀の涙。この広い日本中を変えてしまうほどには手が届かない。

調べてみたら、こんなのがあった。
日本学術会議という組織が行った公開シンポジウム
「増大する野生動物と人間の軋轢:これからの鳥獣管理と人間社会を考える」

残念なことに、会議の報告については出てないようだ。

日本の暮らしの中で、何か問題があれば解決に向けて話し合う人たちが出てくる。
素晴らしいことだ。
本来は、政治家がこうあってほしい。

身近なところで考えると、住んでいる地域や学校や会社、問題だらけだ。
この問題に対し、不満を抱えているだけで良いのだろうか?
何かできることはないか?
小さくとも集まれば大きな力になる。

そこを良くするのは、あなた自身だ。
もちろん私自身でもある(泣

急いで

昼間の地下鉄駅は空いていて、誰もいなかった。
急いで駆け下りたホームへの階段。
最後の段を降りたとき、力が緩んで放屁。
やべ(-_-;) 真後ろに人が——

急いで別の車両へ(-_-;)

泥棒組織

まだ私が若者だったころ、父がぽつりとこう言った。

「泥棒しか居ない村に住んだら、その人も泥棒になる」

そのとき、私と父の間で何が話されていたのかは覚えていない。
この言葉の意味もよくわからず、「自分もそうなるのか?」と不安になった記憶だけが残っている。
最近、この言葉を思い出すことが何度かあった。

前にも書いたかもしれないが、「一般的に会社というものは、社長が一番頭が良い」と言われることがある。
その理由はこうだ。

「社長より頭の良い人は、会社を辞めるから」

つまり、社長が一番賢いというのは、あくまで“残った人の中で”という話だ。
社長が決定したことに社員は従うが、それが社会で通用するかどうかは別問題である。

たとえば——
「ウチの会社は残業代を払わない代わりに、ニコニコ手当という聞いたこともない手当が毎月均等に100万円出ます」と言われても、それが残業代の代替であるならば、労働基準法に違反する。
固定残業代制度にも適切な明示と計算根拠が必要であり、単に「払わない」では済まされない。

泥棒の話も、これに近い解釈ができる。
周囲がみんな泥棒だったら、盗む行為が悪いことではなくなる。
恐ろしい話だが、現実にそういうことは起きている。

ある企業では、求人票に「勤務時間:9時〜17時、休憩1時間」と書いてある。
つまり、実労働時間は7時間のはずだ。
ところが、実際に働いている人に聞くと、8時前に出社することが求められ、17時になっても帰れない。
朝早くから家を出て、300kmほど離れた顧客のもとへ車で向かい、商談し、夜遅くに帰ってくる。
もちろん残業代など出ない。
この会社で働いている人は、それが“当たり前”になっているので、大きな不満はないようだ。
だが、新しく入社した人は驚いて、すぐに辞めてしまう。

さて、泥棒しかいない村に、ある日、正直者が引っ越してきた。
この人に残された選択肢は二つしかない。
1. 村を出ていく
2. 泥棒になる

まさか村人全員が改心して、盗みをやめる活動を始めるとは思えない。
正直者は、結局村を出るか、泥棒になるしかないのだ。

新しい組織の中で、常識的におかしなことが行われている場面に遭遇したとき、どうすればよいか?
私は、一秒でも早くそこを抜け出すことを勧めたい。
恐らくそれは、一人の力ではどうしようもないことだからだ。

少し話がそれるが、私が昔勤めた会社に入ったとき、妻が社長夫婦に挨拶する際にこう言った。

「この人は、曲がったことが嫌いな性格ですから…」

言われてみれば確かにそうだ。
上手い表現だと思ったが、実際の意図はこうだった。

人は、人が見ていなければ何をするかわからない生き物だ。
立ちションする酔っ払いも、悪いことだと知っているから人前では堂々としない。
それは自身のジュニアの貧弱さを隠すためではない。
このような人間が、社会の大半を占めている。

私は曲がったことが嫌いな性格なので、たとえば信号待ちを避けるためにコンビニの駐車場を横切るような行為が嫌いだ。
もし会社内で何か曲がったことが発生したら、それに対して意見してしまう。
これが、組織の中で暗黙のうちに認められていた場合、私は組織で孤立してしまう。
このときに、私を助ける“前振り”として、妻はそれを先に伝えていたのだ。
恐れ入る。
さすがカミ(神)さんだ。

正義を振りかざしても、正面突破できることは少ないのが現実だ。
なんて悲しい社会だろう。
それでも、あなたならどうする?
泥棒の村に入ってしまったとき、あなたは——。

┐(-_-)┌

米政府閉鎖。
トランプさんを見ていると、アメリカ人の民度が残念に思えてくる。